内容説明
「法華大会」を知人がうけることで、20代のころから見たいと思いつづけてきた、その天台宗の宗教行事を拝見する機会を得る。まず坂本の街並み、赤山禅院、曼殊院門跡と、ほうぼうの登山口を周到にも訪ね直した著者は、“包囲網”を絞るかのように比叡山上へのみちをたどる。半生をかけて理解した最澄や天台の真髄をわかりやすく呈示し、いまなお人を惹きつける叡山の魅力を描く。
目次
最澄
そば
石垣の町
わが立つ杣
日吉の神輿
円仁入唐
赤山明神
泰山府君
曼殊院門跡
数寄の系譜
水景の庭
ギヤマンの茶碗
横川へ
元三大師
タクワンの歴史
お不動さん
回峯行
木〓(けい)
大虐殺
探題
黒谷別所
鬱金色の世界
問答
法眼さん
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923年、大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古科卒業。60年、『梟の城』で直木賞受賞。75年、芸術院恩賜賞受賞。93年、文化勲章受章。96年、死去。主な作品に『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの跫音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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chantal(シャンタール)
87
【司馬遼太郎の二月 菜の花街道まつり2019】このシリーズには珍しく、比叡山一ヶ所だけの紀行文。最澄が開いた延暦寺は日本史の中で一番知られている寺ではないか。寺と言うより、一山がそのまま宗教施設と言うような存在。その成り立ちから政治とは切り離せず、それ故に多くの苦難も経験して来た。策士空海とは違い、開祖最澄は不遇と言えば不遇、代々の座主も栄華に固執するタイプでは無かったらしく、華々しい雰囲気ではない。そこに好感が持てる。山深く、中世の名残をかすかに漂わすこの場所に、いつか行ってみたい。2019/02/13
カレー好き
17
行きたい場所の一つ、比叡山延暦寺。叡山の栄枯盛衰に触れました。今も脈々と続く法華大会の始まりや、最澄と空海の比較など面白く読めました。信長の叡山焼き打ち。光秀と秀吉はらしさが出てます。曼殊院門跡も行きたい。☆4つ2020/06/07
時代
15
比叡山ですか。最澄の天台宗延暦寺ですね。勿論行ったことありますよ。はい。以前に「空海の風景」を読んでから最澄はイマイチなイメージがあったんですが、天台宗自体には意外と興味が湧きました。司馬さんの教学への誘いがグイグイ来た感じです。しかし手強い△2018/03/16
グッダー
15
仏教は日本文化を育てる土壌になっていただけでなく、日本的思想の源流にもなっていた。天台宗が入ってくる以前の仏教は、南都の奈良仏教が主流だったが、そこには明確な差別思想が根付いていた。それに異を唱えたのが、最澄の持ち込んだ天台宗の「大乗仏教」の思想だ。天台宗の「人間も草木もみな平等に成就する」という思想は、日本仏教の思想の源流でもあり、日本社会の平等思想の源流でもある。 (つづく)2016/06/24
Syox
14
叡山の歴史や、各宗教などの歴史のお話など詳しく書かれておりました。一度は訪れたいなと思いながら読めました。2023/11/03
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- 和書
- 偉業 光文社古典新訳文庫