内容説明
「湖西のみち」から、二十五年の『街道』の旅は始まった。琵琶湖西岸の渡来人の足跡を確かめ、信長が逃げ込んだ朽木谷を訪ねる。幼いころの著者が遊んだ奈良の「竹内街道」、「私は日本の景色のなかで馬関(下関)の急潮をもっとも好む」と書く「長州路」には幕末を彩った吉田松陰、坂本竜馬らも登場する。
目次
湖西のみち(楽浪の志賀;湖西の安曇人 ほか)
竹内街道(大和石上へ;布留の里 ほか)
甲州街道(武蔵のくに;甲州街道 ほか)
葛城みち(葛城みち;葛城の高丘 ほか)
長州路(長州路;壇之浦付近 ほか)
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923年、大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現・大阪外国語大学)蒙古科卒業。60年、『梟の城』で直木賞受賞。75年、芸術院恩賜賞受賞。93年、文化勲章受章。96年、死去。主な作品に『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの跫音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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サンダーバード@読メ野鳥の会・怪鳥
108
週刊朝日に連載された司馬さんの紀行文。第一巻は近江の湖西の道、甲州街道、長州路など。紀行文ではあるが、メインはその土地にまつわる歴史よもやま話。ここでも司馬さんの歴史に関する蘊蓄は面白い。坂東武者の祖先が白村江の戦いで敗れ関東に移住した数千人もの百済の子孫であるという見解はなかなか興味深い。連載当時は1971年。高度経済成長で新幹線ができ、高速道路網ができつつある時代。昔との差を嘆く場面もあるが、もし今また司馬さんが同じ道を歩いたらいったいどんな感想を抱くだろうか?★★★+2019/01/26
佐々陽太朗(K.Tsubota)
105
「湖西のみち」の書き出しを読むだけで私にも詩がはじまった。湖西のみち、竹内街道、甲州街道、葛城みち、長州路、それぞれが私を誘っているかのようだ。GoogleMapで路を確認し、訪れるべき所に☆印をつけながら読んだ。まずは長州路、画家の風間完氏が菓子を食べ、天井や欄間、軒先を見ながらながら「ちょうどいい」と言った宿『松田屋ホテル』へ泊まってみるか。西郷・木戸・大久保が密議を重ねたという東屋がある庭を散策し、風呂につかりながら維新の時代に思いを致すのも楽しいだろう。 2017/06/07
k5
89
早くに死んだ私の母は皮肉な表現を好んだのですが、厨二病の私が司馬遼太郎の戦国モノに熱狂しているころ、「街道をゆくなら読むけれど」と言っていました。自分も四〇を過ぎてみて、このほとんど移動を感じない紀行文の魅力が分かってきたかも知れません。古代史や幕末のイデオロギーといった、やや過激になりがちな内容に、紀行文のふりをしながらアイロニーたっぷりの叙述をするスタイルがとても洒脱なのです。2022/04/17
molysk
82
「近江」という国名を「あわあわとした」と表現できる感性は、司馬ならではといえるのではないだろうか。満々たる琵琶湖の水をたたえた、近つ淡海(あわうみ)のくに。奈良盆地では大和政権に追い立てられた土着勢力の歴史を地名から紐解き、長州路では怜悧ながら仁者という長州人の評をその土地柄と結びつける。見知った土地の名前や風土に、鮮やかに歴史の色付けがなされていく。街道をゆく紀行文というよりは、歴史をゆく随筆と呼ぶ方がふさわしい気がするが、それでいいではないか。司馬遼太郎は、なんといっても余談が楽しい作家なのだから。2023/07/16
chantal(シャンタール)
70
【司馬遼太郎の二月】帰省する旅のお供に読んだ、初「街道をゆく」。司馬さんが見ていた風景はどんなだったのだろうと、想像しながら読むのはなんとも楽しかった!「長州はいい塔を持っている」まさにこの一文が刻まれた文学碑のある瑠璃光寺を始め、昨秋長州路を旅して来たばかりなので、長州路編は想像ではないので、殊の外面白かった。新撰組や白虎隊など、敗者の美学とでも言うか、同情的な気持ちがあったため、長州藩にはあまり良い印象がなかったが、実はとても興味深い歴史を持っているのだなと、また関連の作品を読んで見たくなった。2018/02/09