内容説明
20世紀とはどんな時代だったのか―。21世紀を「地球人」としていかに生きるべきか―。歴史の潮流の中から「国家」「宗教」、そして「日本人」がどう育ち、どこへ行こうとしているのかを読み解く。それぞれに世界的視野を持ちつつ日本を見つめ続けた三人が語る「未来への教科書」。
目次
1 二十世紀とは
2 国家はどこへ行く
3 イスラムの姿
4 アニメーションの世界
5 宗教の幹
6 日本人のありよう
7 食べ物の文化
8 地球人への処方箋
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ムッネニーク
71
64冊目『時代の風音』(堀田善衞/司馬遼太郎/宮崎駿 著、1997年3月、朝日新聞出版) 宮崎駿が聞き手となって行われた、彼が尊敬する2人の作家、堀田・司馬両氏との鼎談を文章に起こしたもの。時期としては、おそらく92年前半頃に行われたものだろう。 膨大な知識に裏付けされた史観から、宗教や戦争、国家、人類などについての議論が展開されてゆく。現代を予見するような発言も多く、真の知識人とはこういう人たちのことを言うのかと大いに感心させられた。 〈差別はわれわれの没落につながります〉2024/05/15
ネギっ子gen
61
【人間は度し難い】宮崎駿が聞き手となり、尊敬する堀田善衛・司馬遼太郎との鼎談。1992年刊の単行本を97年に文庫化。宮崎「あとがき」で、“堀田さんは、牛車に折りたたみ式の方丈を乗せて、京を捨てて山に入っていく鴨長明/司馬さんは、天山北麓の緑の斜面の、馬に跨った白髪の胡人/私は取り残された裏店の絵草子屋”と評し、<おふたりの言葉は私の気を軽くしてくれました。澄んだニヒリズムというと、誤解をまねくでしょうか。安っぽいそれは人を腐らせ、リアリズムに裏づけられたそれは、人間を否定することとはちがうようです>と。⇒2025/08/02
ねこさん
23
自分が如何に無知であり考える努力を怠ってきたかを、殆ど口を挟むことができずにいる宮崎駿を通して二重に思い知る、堀田善衞と司馬遼太郎の対談。自らの痴愚や粗忽を公言して弁解とするような為政者がのさばる世にあって、知性への信頼とも言えるような感情が甦ってくるような、そんな嬉しさと幾許かの知識欲を自分の中に発見することができて、穏やかな心持ちになった。2022/08/21
ナハチガル
17
鼎談と思って読み始めたら、ほとんど司馬と堀田の対談だった。しゃべるのが好きなはずの宮崎は二人に圧倒されているのか、遠慮しているのか。話題は歴史・政治・経済・文化をまたがってあちこちに飛びまくり、個々のトリビアは面白いけど、一冊の書籍としては散漫な印象。「宮崎 ところで、この二十世紀という時代は、後の世からどうみられるのでしょうか? 司馬 人類の長い歴史からみても、これまでに比較できることのない、いちばん忌まわしい世紀だと言っていいかもしれませんね。」A。2023/03/07
時代
13
堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿 三人が語る過去の日本との二十一世紀未来の日本。 大丈夫、日本には「名こそ惜しけれ」がある○2019/06/08