内容説明
自閉症の青年による殺人事件は、なぜ単なる「凶悪な通り魔」による殺人事件とされてしまったのか?四年にわたる取材から浮き彫りになる、障害を持つ青年の取調べ・裁判、そして何より当人が罪の重さを自覚することの難しさ。刊行時に大きな話題を呼んだ問題提起の書、待望の文庫化。
目次
プロローグ レッサーパンダ帽の男が浅草に
加害者・被害者―逮捕まで
報道―隠されたこと
裁判一―初公判での「沈黙」
被害者一―家族のアルバム、その突然の空白
裁判二―「障害」はどう受けとめられたのか
裁判三―「自閉症」をめぐる攻防
加害者一―「なぜ顔を上げないのか」と男は問い詰められた
加害者二―放浪の果て
被害者二―「思い出も、声も忘れたくないのに…」
被害者三―「教え子の事件」が連れてきた場所
裁判四―消された目撃者
裁判五―「殺して自分のものにする」と言ったのは誰か
裁判六―彼らはどのように裁かれてきたのか
被害者三―「この国を腐らせているのはマスコミのあなたたちではないか」
加害者四―責任と贖罪
裁判七―それぞれの判決
エピローグ―最期のレクイエム
著者等紹介
佐藤幹夫[サトウミキオ]
1953年秋田県生まれ。國學院大学文学部卒業。批評誌『飢餓陣営』主宰。フリージャーナリスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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こばまり
55
障害の有無、軽重、種別に拘らず犯した罪は償うべきだが、司法手続きにおいては障害に応じた翻訳、対応が必要と思う。被害者の死を契機に福祉が介入し、穏やかな終末期を過ごせた加害者の妹の存在。18年を経ても、未だ胸にわだかまりの消えぬ事件である。2019/10/12
James Hayashi
30
自閉症は心の問題であり判定が難しい。取調室の尋問の様子をビデオ化していたら異なった判決になっていただろう。法廷に立たされている被告人に無理がある様に感じられる。殆ど自発的に喋ることができていない。この様な人が改悛の情けなど持ちようもないことは裁判官もわかっていたはず。自閉症の加害者の方を持つわけでなく、やはり若くして命を落とした被害者と被害者の家族を思うと涙が出てくる。当時、自閉症の概念の認識が低く、始めから判決ありきでの公判の様にも見える。臭いものに蓋をしろ的な司法は民主主義から程遠い。続く →2020/01/18
テツ
28
自閉症の人間が一昔前にやらかした犯罪とその裁判について。どんな障害を抱えていようとも、加害者が例え己の犯した罪自体を認識出来ない存在だとしても、そうしたことに関係なく犯した罪のみを基準にして刑罰を与えるべきだと常々考えているので興味深く読みました。加害者の障害を罪を軽減する要素として考えるべきではないと強く思ってはいるけれど、こんな兄を抱えて家族を支えて病気で倒れた妹のきもちを考えると居た堪れない。やらかさないシステムを構築するべき。例えそれが多少なりとも障害を抱える方の人権に踏み込んだとしても。2018/09/28
gtn
16
自閉症者は「ガールフレンドをもって一人前、という固定観念があり、いわゆる性欲ではない」との精神科医高岡健氏の証言は重い。つまり、レッサーパンダ帽男は劣情を持って女性を襲ったのでなく、単に彼女を所有しようとしただけということか。結果、無期懲役の判決が下ったが、それがどういうことなのか本人は理解していない様子。罪を自覚できない人物を罰する難しさがある。2019/09/12
ぼぶたろう
8
レッサーパンダ帽の男の殺人事件についてはあまり記憶になかった(かなり話題になったようなので、年齢的にかな)のだが、白昼堂々、目立つ格好で、通り魔的な犯行に及ぶという異様な事件である。本著は自閉症と思われる被疑者(犯人)の裁判記録を軸に据え、発達障害者に対する日本の福祉や司法、警察の在り方を問う作品だ。読んでてすごいと思うのが、作者の視点や立ち位置が全くぶれないところ。その芯の強さがここまで関係者の方々への取材を成功に導いているのではないだろうか。2021/05/12