内容説明
1985年8月12日、日本航空123便ジャンボ機は524人を乗せて群馬県の山中に墜落した。それは新聞社にとっても、以後数十日間続く苛酷なドラマの始まりであった。単独機では史上最多の520人もの死者、意外な事故原因、そして奇跡的な4人の生存者など、さまざまな意味で歴史に残ることになったこの悲劇を、混乱する情報の中で新聞関係者たちはどのように捉え、報道したのか。緊迫の全記録。
目次
ジャンボ機が消えた
何が起きたのだ
炎を見た
現場はどこだ
家族にあたれ
流れ星の夜
御巣鷹山に登れ
生存者がいた
四人か八人か
下山の指令
海に尾翼が落ちていた
乗客名簿
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
hatayan
39
1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故の第一報から墜落場所特定、生存者救出まで、取材に携わった朝日新聞社の社員300名からとったメモを記録にまとめたもの。 墜落現場の御巣鷹山から一番に中継したのはフジテレビでした。生存者が救出される様子の原稿を送りながら、記者は「言葉が現実に追いつかないもどかしさ」を感じたといいます。 現場にたどり着けたのは偶然。行先を間違えた記者が多くいたことも記されます。しかし「格好悪くてもよい。汗まみれになって挑んでいく努力が真実を切り開く」という巻末の言葉に心強さを感じました。2019/07/19
yokmin
24
1985年8月のジャンボ機の御巣鷹山墜落を知ったのは、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。現地時間12日の朝9時頃(日本時間午後9時)出勤途上のカーラジオで聴いた。半信半疑で事務所到着。東京本社からのテレックスで墜落を確認。午後、取引先で「524人も乗っていたとは定員オーバーで墜落では?」「いや、SR=Short Rangeという日本国内便仕様で定員オーバーではない」との会話をした覚えがある。本を読んで涙したのは、墜落現場で救出作業中の自衛隊員が、亡くなった幼児を抱きかかえて泣いている場面。2021/05/24
miwapicco
13
2度目くらい。日航機の事故は、かなりいろんな本を読み漁っている(´・ω・`) 昔の報道の乱暴さは今の比ではないなあ( ・᷄ὢ・᷅ ) しかし記者の皆さんも二次遭難寸前、大変なお仕事だ。2017/09/05
モリータ
12
◆単行本1985年12月刊、文庫版(本書)1990年朝日文庫刊。◆日本航空123便墜落後24時間の、朝日社新聞記者らの動きを記録。85年10月の特集記事を出発点とする。本書をまとめるにあたっての思いは(引用①)はさあれ、野田正彰著の批判(引用②)にもあったような、取材対象=人間に対する浅い共感と、報道の目的・姿勢に対する甘い内省しか持ち合わせないままに情報を取り、記録しようとする、病的なマシーンという印象を、本書のそこここの記述や、詳細な乗客名簿(新聞に掲載され本書巻末に収録)に感じてしまう(引用③)。2023/06/03
ちょっきんな
10
ページをめくるたび泣けてきて、なかなか進まなかった… 本当に助かった人が4人もいたなんて奇跡。 乗客名簿とその利用目的、遺書やボイスレコーダーの内容も書かれてるのでさらに号泣です。2018/03/05