内容説明
1904年に火ぶたを切った日露戦争。日本海海戦、ロシアでは「ツシマ海戦」と呼ばれる戦いで、通称「バルチック艦隊」は撃沈した。開戦から100年後、艦隊を率いた司令長官ロジェストヴェンスキーが、妻と娘に宛てたプライベートな手紙が発見された。200日を超える大艦隊の航海中、故障や熱帯の地での長期足止め、燃料補給の困難など様々なトラブルに見舞われ、乗組員たちの士気が著しく低下。革命迫る本国との通信が途絶える中、辛抱強く艦隊を支え続けた姿からは、これまで必ずしも芳しい評価をされてこなかったロジェストヴェンスキーの苦悩や諦め、責任あるリーダーとしての一面も見えてくる。そのほか、情報将校の秘密文書など、ロシア側の新史料を豊富に用いて描き出す、新たな日露戦争像。
目次
1 日露戦争への道(大津事件の影響;列強進出の中での日ロ外交;ロシア極東政策の誤り)
2 バルチック艦隊の悲劇(「アジア制覇」という野心;ロジェストヴェンスキー提督の私信;講和への道のり)
3 日露戦争後からロシア革命まで(新たな地政学的領域)
著者等紹介
サルキソフ,コンスタンチン・O.[サルキソフ,コンスタンチンO.][Саркисов,Константин]
1942年、エレバン市(旧ソ連・アルメニア共和国首都)生まれ。1966年、レニングラード大学(現サンクトペテルブルグ大学)東洋学部日本学科卒業。ソ連(現ロシア)科学アカデミー東洋学研究所で研究生活へ。1975年、論文「日本と国連」で博士(Ph.D.)号取得。全ロシア日本研究会初代会長。ソ連の対日政策について多くの論文を書き、党中央委員会や外務省に提出。1991年、ゴルバチョフ大統領の訪日時、随行団の一員として参加。法政大学から客員教授として招聘された。現在、山梨学院大学大学院教授、法政大学兼任教授
鈴木康雄[スズキヤスオ]
1939年、東京生まれ。1964年東京外国語大学ロシヤ科卒業。読売新聞社に入社、モスクワ、バンコク、ワシントン特派員を歴任。1999年、自然医科大学教授、2005年、富山国際大学教授。現在、同大学国際交流センター長・特任教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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