内容説明
生産地と消費地を結ぶ生活のための「流通の道」。軍事拠点と前線を結ぶ「軍事の道」。そして神仏に救いを求めて歩む「信仰の道」。三つの性格の異なる古代から近代までの歴史的な峠道を歩きながら、道と峠を行き交う人々、峠を守ってきた人々の暮らしを考え、道を辿る人々の心性に想いを馳せてみる。なぜ、古道は山の尾根を通るのか?牛馬の視点から見る道とは?「あるき、み、きく」歴史学を実践し、ライフワークとしている著者を先達に、歴史を再検討し、読み直してみよう。古道を歩くことによって、古(いにしえ)の面影を実感し、歴史を追体験する。
目次
1 流通の道(中山道―峠の背景)
2 軍事の道(鎌倉街道―すべての道は鎌倉に通ず;二つのザラ峠―佐々成政はどこを越えたのか;相良氏のアゼチ(庵室)道―戦国の山岳軍用道路から西南戦争へ)
3 信仰の道(いまひとすじの熊野道―小栗街道聞書;四国遍路道と地名「旦過」;国東半島・六郷満山峰入りの道―修験者の山道;修験の山―伊吹山とその歴史)
著者等紹介
服部英雄[ハットリヒデオ]
1949年、名古屋市生まれ。東京大学大学院修士課程修了。同大学文学部助手、文化庁文化財保護部記念物課(史跡部門)文部技官・文化財調査官を経て、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。日本中世史専攻。主な著書に『景観にさぐる中世―変貌する村の姿と荘園史研究』(新人物往来社。角川源義賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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残留農薬
2
峠は現在では交通の障害としてトンネルに代替されることも多いが、その困難さ故に、麓の村々に外来からの富や文化を齎すことにもなった。第5章では、信仰の道として熊野街道(小栗街道)を挙げ、宗教家・巡礼者の善行を為したい気持ちと、小栗判官に代表されるハンセン病患者などの被差別階層・社会的弱者の生存への希望とが、この大街道の上で合致していたありかたを描写しているのが興味深い。あと、牛は桟道など、下の見える道を歩けないという点などは、知らないと態々尾根道が選好された理由が理解できないため、読んでよかったと思う。2018/02/09
takao
1
ふむ2020/10/01
コカブ
1
「流通の道」として中山道を、「軍事の道」として鎌倉街道・佐々成政が越えたというザラ峠・アゼチ道(熊本県人吉~八代の尾根道)を、信仰の道として熊野道(「小栗街道」)・四国遍路道・国東半島の六郷満山峰入りの道・伊吹山の道を紹介している。2010/07/10
Riko
0
図書館で借りた2012/09/08