出版社内容情報
1941年にソ連白ロシアで15歳以下の子供だった人たちに、約40年後、戦争の記憶がどう刻まれているかをインタビューした戦争証言集。
内容説明
一九四一年にナチス・ドイツの侵攻を受けたソ連白ロシア(ベラルーシ)では数百の村々で村人が納屋に閉じ込められ焼き殺された。約四十年後、当時十五歳以下の子供だった一〇一人に、戦争の記憶がどう刻まれているかをインタビューした戦争証言集。従軍女性の声を集めた『戦争は女の顔をしていない』に続く、ノーベル文学賞作家の代表作。
目次
一九四一年六月二十二日
ドイツ軍の下で
疎開の日々
孤児たち
少年兵
ただ記憶の中で
戦争が終わって
著者等紹介
アレクシエーヴィチ,スヴェトラーナ[アレクシエーヴィチ,スヴェトラーナ] [Alexievich,Svetlana]
1948年ウクライナ生まれ。国立ベラルーシ大学卒業後、ジャーナリストの道を歩む。民の視点に立って、戦争の英雄神話をうちこわし、国家の圧迫に抗い続けながら執筆活動を続ける。2015年ノーベル文学賞受賞
三浦みどり[ミウラミドリ]
1949‐2012年。東京外国語大学卒。ロシア語通訳・翻訳家。アレクシエーヴィチと親交があり、来日の際は通訳をおこなった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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どんぐり
101
第二次世界大戦中の白ロシア(ベラルーシ)でナチス・ドイツの戦禍を生き延びた子どもたち101人の証言。子どもたちが何を見、何を記憶としてとどめてきたのか、ノーベル文学賞受賞作家が戦争の記録を紡ぎだす。燃え残りの火の中に残っていた母親のブラウスのボタン。ドイツ軍のシエパードに八つ裂きにされながら「こんなことを目にしないように、息子を連れ出してくれ」と叫ぶ父親。頭を斧でたたき割ってまわるドイツ軍の姿。パルチザンの人たちが先生となって少年兵に文字を教える「緑陰学校」。→2024/07/20
molysk
79
1941年、ナチスドイツの突如の侵攻を受けた白ロシア。戦争の惨禍を目の当たりにした、101人の子どもたち。戦場から帰らなかった父親。自らを犠牲にして子供を逃がした母親。ドイツ軍に焼き払われた村。たった一人で見知らぬ土地へと逃れる心細さ。復讐を胸に幼い手に取った武器。そしてようやく訪れた平和に、喜びを分かち合う家族は残っていなかった――。子供の記憶に刻まれた、戦争の傷あと。オーバーをかぶって伏せた地面の上で、爆弾が落ちる様子をボタン穴から見ていた。戦争を生きのびた子供たちは、残された最後の証言者である。2024/03/24
syaori
75
第二次大戦時のベラルーシの子供たちへ、その約40年後に行われたインタビュー。語られるのは春の美しい日に戦争が始まったこと、道に横たわる母のこと、飢えや空襲の恐怖。作者が掬い上げる当時3~14歳の子供達の声は、連れていかれた父の顔が「まったく記憶に残っていない」というように漠然と、また欠落してもいるのですが、その混乱と混沌に彼らの恐怖と衝撃の大きさが窺われるよう。40年を経て「戦争はいやだ…と皆に伝えてください」と語るその声が今も戦禍の中にいる子供たちの声と重なり、胸ふさがれるような気持ちで本を閉じました。2025/03/19
やいっち
70
「チェルノブイリの祈り」も、原発事故の悲惨をあくまで被災者たちの現実に寄り添って痛切だったが、本書も、ナチスドイツに侵略された白ロシア(現ベラルーシ)の村々の住民たちの悲惨を描いて悲痛。あくまで幼子たちの視点で生々しく吐露させる。ロシアといっても、ウクライナ、さらにベラルーシの被害が甚大だったことは知られていない。子供(当時の痛み)の言を引き出す筆者の辛抱強い姿勢があっての成果なのだろう。2016/04/01
読特
66
「親子は別れを告げた、銃殺を待つ間に」「きれいだった母の顔が撃たれた」「お粥の行列に並ぶが、前で食べたはずの子どもはなぜか戻って来ない」「母親から子供がひったくられ火の中に放りこまれた」「空が怖くなる、吊られているのをみたから」「犬たちがくわえてきた、3歳の妹をズタズタにして」…ナチスドイツの侵攻を受けた当時ソ連の白ロシア。数百の村で行われた凄惨な仕打ち。4人に1人が命を落とす。当時を目撃した子供たちの証言。原題は「最後の生き証人」。残念ながら”最後”ではない。まだ、世界のどこかで悲劇が繰り返されている。2024/05/06
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