内容説明
誰にでも共通にあるとされている「意識」や「心」とはいったい何だろうか?そもそも、それは本当に実在しているのだろうか?古くから謎とされてきたこの難問に、著者独自の独在論と言語哲学・分析哲学のアプローチから挑む。時間との類比や言語の本質への考察から、われわれが「現実」と考えているものの根拠を問い直す。親しみやすい講義形式で好評の単行本版の内容をさらに一新、進化した永井ワールドを読者に提供する全面改訂版。
目次
第1日 なぜ意識は哲学の問題なのか(心なんて一般的なものはない;脳と意識の関係は他のどんな関係にも似ていない;時間との類比を試みてみよう ほか)
第2日 なぜわれわれはゾンビなのか(現象的と心理的の対比は累進する;論理的付随と自然的付随を隔てるもの;チャーマーズの二次元的意味論 ほか)
第3日 なぜ意識は志向的なのか(人称化と時制化による客観的世界の成立と志向性;知覚経験はいかにして志向的となるか;志向性と内包をつなぐもの ほか)
著者等紹介
永井均[ナガイヒトシ]
1951年東京生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。専攻は哲学・倫理学。千葉大学教授などを経て、日本大学文理学部哲学科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
41
一気に分かるというよりも、何度も読むことで少しずつ明けていくような気がする。本書ではクオリア的な意識を第1次内包、概念的なものを第2次内包という。第1次内包があって第2次内包ができるのではなく、むしろ第2次内包の私秘性を実体化させて、そこから遡行させてはじめて発見されるのが第1次内包だということになる。つまり、言語が邪魔をしているのだけれども、言語が無ければそもそも他者も立ち現れない。したがって意識とは実在物のことではなく、相互に比較可能だと錯誤を起こしたことによる、この自分の現象的なもののことである。2023/02/25
ころこ
39
意識とは、他我問題を前提にするときに起こる錯誤である。そこにあるのは意識ではなく<私>でしかない。意識と呼ばれる現象を遡行的に記述することなく、言語があるだけだと考えるならば、そこには<私>=言語ということがいえるはずである。これがひとつの主張に思えるのは、それでも一般に意識といわれるものが存在するようにみえ、一般的には認知科学的な議論の方が優勢なことでしょう。「意識」=<私>のはずが、どういうわけか<私>でない他人にも、この議論が伝わってしまう。問題は、その不思議さにあります。2019/05/03
ころこ
19
意識とは何かという問いは、脳科学で言うクオリアの実在問題に回収されるという形で誤解されている、著者の問題意識はここから始まります。意識なるものは<私>と『私』の非対称な私秘性から生まれるとし、永井的独我論を使って縺れた糸を解きほぐします。本書には累進構造の図が何度も登場しますが、それは独在性を一般化することにより、<私>と<私>以外の人との間に成立する対立を、形式化・概念化して、私や私以外、または私以外と私以外の間にも成り立ちうるとする問題の取り違えを表しています。また、著者の独我論は私的言語と同義です。2018/01/17
文章で飯を食う
14
「〈仏教3.0〉を哲学する」を読んで、「この」私や、「この」今にドキドキしたが。あれは、討論会だったから、わりとわかりやすかったのね。本書を読んででも、「〈仏教3.0〉を哲学する」以上のことは理解できませんでした。永井均氏の他の本も読んで見て、表現に親しんでから、再読しよう。2017/02/15
月をみるもの
13
"われわれはたいてい、各人に心とか意識とか呼ばれるものがあって、それは主としてその人の脳の働きによって作り出されて、というような世界像を信じています。この後半を信じない人でさえ、前半は信じているでしょう。今回の連続講義では、そういう世界像をまずは打ち壊したい。しかし、ただ打ち壊すのではなく、それがどのようにして成立したのか,どうして成立しなければならなかったのか、その仕組みを明 らかにしたいと思います" → 続く2019/03/24