内容説明
もの欲しげな目に半開きの唇、しなりくねらせた肢体。世に流布するお色気広告を、ズバリ分析。社会が演出し、女に演技を求めている「女らしさ」、男が演技したがっている「男らしさ」の実態を大胆に、そして軽妙な筆致であばき出す。男女共にまとう「社会的衣服」を身ぐるみはがされる、キケンで快感一杯の“処女喪失作”。
目次
プロローグ この世は男と女でできている。そこで…
1 「夫婦茶碗」のおそろしい秘密―巨人軍は勝たねばならぬ、女は弱くあらねばならぬ
2 女が「発情のお知らせ」をするとき―五歳だろうが百歳だろうが、女がみんなぶりっ子をする理由
3 女は「曲芸」に生きる―さあさあごらん。オンナが見せる、つらい世間の綱渡り
4 ハズレ者とハズサレ者―鬼が見つけてくれないカクレンボほど悲しい遊びがあるだろうか
5 女は、ここまで「できあがって」いる―男の自尊心が裸のミノムシにされそうな、きつーい時代の到来
エピローグ 女社会は、至福の千年王国か
著者等紹介
上野千鶴子[ウエノチズコ]
1948年、富山県に生まれる。1977年、京都大学大学院社会学博士課程修了。平安女学院短期大学、京都精華大学などを経て、東京大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
TakaUP48
54
バブル期に入る前1982年に書かれた、平安女学院短大助教授の筆者の処女作。頻繁にモロな性的用語が飛び出してきて驚く!攻撃的な文書がこれでもかと続く。余り好きじゃない多くのイラストを並べげ、女の見方、見られ方が述べられる。いつでも発情している人間の「しぐさの文法」から、言葉によらないメッセージを、女性の細かな心理を読み解く。出版時の頃と、昭和・平成と流れてきた今を比べると、女性の市民権は確実に拡張してきた。学生さんでは、何事にも好奇心が強く挑戦的なのは女子。迫る女と逃げ腰男。何処まで、女は強くなるのか?2022/08/29
壱萬参仟縁
22
写真や絵がエロいな。 ホモ・エロティクス(発情人間)としての人間(7、50頁)。 その前の本には、ホモ・エコノミクスというか、 エコノミックアニマル日本人の姿を見た気がする。 共通するのは性や金への欲望か。 それらだけではない気もする。 男は、同性と異性とでは、女に対する姿勢が違う(51頁)。 本書の着想は、1980年に、 ゴフマンの『ジェンダー・アドバタイズメント』(242頁あとがき) から得たという。 ゴフマンなだけに、女性が差別されるのはご不満であったのは よくわかる。 2014/03/30
chiseiok
19
討論番組で見かけるジェンダー論の第一人者、テレビ映えを充分わきまえた吠え方をする辛口コメンテーターさん…というくらいの認識でしたが、文章については初読み。そのあまりにレトロなタイトルから、狙ってんのかな?と思ったら、初版は1982年(^^;。流石に古く感じる部分もありますが、いまだに、あるいは今だからこそ通用する内容もあり。ただし、”歯に衣着せぬ”ことに一生懸命になり過ぎてるきらいも。エンタメ新書としての処女(喪失w)作として気合い過多だったのかな。、予想外に面白かったですが、図版がエロい(笑)。2015/07/07
swshght
15
上野千鶴子の「処女喪失作」。広告を中心に、女性の表象に隠された構造を解読する。世の中には女性の広告写真が氾濫している。それらのイメージには、社会における男女の位置関係が反映されている。つまり、《男=「見る」側、女=「見られる」側》という視線の制度。この関係のなかで、女は「女らしく」振舞うよう強制され、男はそのしぐさに性的メッセージを読みとる。上野はこれを「しぐさの文法」と呼ぶ。面白いのは、「女らしさ」に対する女の反応だ。女は男の目を内面化して「女らしさ」を読み、その対象に同一化してナルシシズムを味わう。2013/05/05
サトゥルヌスを喰らう吾輩
7
ちょっと未来予知の感のある、鋭い本でした。上野千鶴子さんと一緒に広告をみながら広告が発信しているノンバーバルなメッセージを読んでみましょう。どうしてこの夫婦は日本人の男のひとが椅子に座っていて外国人の女のひとが床に座ってにっこりしているのかな? ということについて分析してゆく本。赤文字雑誌のモテテクにはかなり記号的な裏づけがあるんだなあと思いました。今でもたぶん、読めばある種の愛され女子になれる本と思いますが、ターゲットをどこに定めているか知らずにこの記号を使っているとろくなことにならないでしょうね……。2016/05/16