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岩波現代文庫
宴の身体―バサラから世阿弥へ

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  • サイズ 文庫判/ページ数 268p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784006001292
  • NDC分類 772.1
  • Cコード C0191

内容説明

踊り念仏、バサラ大名の連歌会、田楽、歓進能など、中世芸能の時空間は無縁平等の世界をつくりだし、宴の熱狂のなかで身体は日常の文脈をはずれた新たな共同性をになう。宴の身体から稚児の身体を経由して、世阿弥の身体が多角的に考察される。日本文化の原基としての活力あふれる豊かな中世像を描いた刺激的な日本文化論。

目次

第1章 演劇としての宗教―時宗「四条道場」論
第2章 バサラの時代―パフォーマンスの考古学
第3章 宴の身体―連歌・一揆・会所
第4章 夢幻能の発生―勧進能のトポス
第5章 稚児と天皇制
第6章 稚児としての世阿弥
第7章 花・幽玄・しほれ―稚児の美学
第8章 能の空間と修辞―世阿弥の“遠見”をめぐって
第9章 世阿弥の身体
第10章 カマエの成立
第11章 紀貫之と世阿弥

著者等紹介

松岡心平[マツオカシンペイ]
1954年生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学教授。観世文庫理事。専攻は日本中世文学。能の現場とかかわりながら日本文学・歴史学を総合し、中世研究の新しい地平を切り開く
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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ymazda1

1
「井筒」って能の演目の「男が男に扮した女を演じる」倒錯の意味だとか、教科書ちっくな民衆の蜂起や文化といったものとは噛みあわない「一揆」や「連歌」の実像だとか、いろいろと興味のわいた本だった・・・あと、その孫の代以降の出雲での大社との関係性みたいなとこも含めて、佐々木道誉って人は、やっぱ気になる。

mustache

1
能における子方(成人男女、物の精などを演ずる子どもの演者)の活躍は、中性的な稚児に美やエロティシズム、そして聖なるものを見出した室町期の時代精神を反映している。世阿弥自身、足利義満に寵愛される稚児であったし、比叡山などの仏門でも「一稚児二山王」と言われたほどに、稚児は崇拝され愛玩された。このような文化の根源的な要因として、筆者は中世的天皇制の構造を指摘している。すなわち独裁者としての院と、密室に隔離され、政治から切り離されることによって聖性を高められた幼童天皇との二重構造である。卓見である。2014/06/27

こんがら童子

1
精妙な能面が作られることにより、心への力点が高まった、と言う指摘は刺激的だった。なるほど、そうかも知れぬ。浅田真央のちんちくりんな顔面表現を見ても分かるが、表情で内面的な部分を表現することも簡単ではない。しかし表現の上では表情はとても大きな役割を果たす。それを面によって封じ込められたとき、内面的な表現をどうするのか、と言うことがすぐに問題となる。そこを世阿弥は心のはたらきをより強化する形で重要視した。なるほど、こう考えることができるなら、とても興味深い指摘だ。2010/02/27

ひろし2020

0
網野善彦の「日本の歴史を読み直す」と併せ読むと面白い。正岡子規は一遍のことを評していたが、これほど、すさまじい歴史があったとは、今まで知らなかったことを後悔。私たちの世代は、体育の時間に、ダンスの授業もなかった。ああ2020/03/23

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