内容説明
1944年8月、那覇から九州に向かった学童疎開船・対馬丸は米潜水艦の攻撃を受け沈没、1400名を超える犠牲者を出した。対馬丸に乗った子どもたちはいかに生き、死んでいったのか。過酷な漂流生活を体験した生存者の証言や残された記録をたどり、当時の子どもたちが対峙した戦争とは何だったのかを問う。
目次
第1章 三等甲板員の航海
第2章 疎開
第3章 乗客たち
第4章 撃沈
第5章 漂流生活
第6章 上陸後
第7章 七人のその後
著者等紹介
早乙女愛[サオトメアイ]
映像プロデューサー、文筆家。1972年、東京都生まれ。幼少より父・早乙女勝元の取材に同行し、国内外の戦跡を訪ねて育つ。同志社大学文学部哲学及び倫理学専攻卒業。四年間の会社員生活をへて、2001年、中米コスタリカを舞台にドキュメンタリー映画『軍隊をすてた国』をプロデュース(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
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kenitirokikuti
7
図書館にて。平和学習でこの対馬丸を題材にしたアニメ映画を見たことがあるのだが、よく覚えてない。神戸市だったもんで、『火垂るの墓』の方が記憶に残っている。本書によると、対馬丸は日本郵船の商船だったそうな。うちは親父が日本郵船に勤めてたのだけど、いま知ったワ▲海難事故ものってと、中井英夫『虚無への供物』が思い出される(海難事故ものという括りが妥当かさておき…2020/08/10
みさと
3
早乙女勝元の子が、対馬丸の撃沈を生き延びた生存者を訪ねて証言を聞く。1944年8月、那覇から九州に向かった学童疎開船対馬丸は、米潜水艦の攻撃を受けて沈没。その犠牲者は1400名を超える。対馬丸に乗ったこどもたちはいかに生き死んでいったのか。そしていかに戦争と戦後を生き延びたのか。自分だけ生き残ってしまったとの負い目から何十年も事件を語れなかった人も。人を客船ではなく輸送船で、船室ではなく船倉に積めて運んだ日本。商船を無差別に撃沈し続けた米国。国と国の戦争が終わっても終わることのない重荷を追い続ける人たち。2021/07/30
くま86
2
1944年8月22日22:23頃、1788人(うち学童疎開834人)を乗せた対馬丸が米ボウフィン号の魚雷攻撃で沈没。生存者280人。また少し、戦争を知れた。他国は兵隊等の移動は客船だった一方で日本は貨物船だった事。護衛艦は対馬丸を助けず退避せざるを得なかった事。沈没に関して箝口令がしかれていた事。米の船員からすると魚雷を発射することで船内の居住空間が広がるという事。極限の状態でも年下や乳児連れの母親に食べ物を渡せるような人がいる事。「生きる」強い意志。「戦争反対」より「平和は家庭から」は本質だと思った2024/07/19
リリパス
2
対馬丸の沈没についてまとめた本です。とても切ないお話しでした・・・。2023/07/24
marmelo
1
沖縄のAMで昨年やっていた対馬丸のラジオドラマでは日本が沖縄を捨て石にして云々と喧伝。いかにも沖縄らしい偏向報道に聴こえて不快で、自分でも調べてみたくなり、対馬丸関連の書籍を数冊買ったその中のひとつ、まずはジュニア向けの本書から。岩波ということで中立性が疑わしかったが、読めばそれほど気にならず。1944年8月22日、日本郵船の貨物船対馬丸が米国の潜水艦ボウフィン号の魚雷により撃沈。犠牲者は氏名判別学童757名、一般疎開者569名、引率教員・世話人29名、船員24名、船舶砲兵隊員21名2016/09/02
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