出版社内容情報
他人の言葉、うわさ、専門家の発言、マスメディアの報じるニュース、ネット発のニュース、あるいは陰謀論……、私たちは瞬時に莫大な情報を手にする一方、時に何を信じたらいいのか、わからなくなってしまう。本書では、「知る」ことを哲学的に考察し、「真理を多く、誤りを少なく」知るための方法、そしてその意味を問う。
内容説明
何を信じたらいいか、わからなくなってしまった!情報の渦に溺れそうになる時代にあって、われわれはしばしばこう嘆く。しかしそれでも効率を優先し、どうしても結論を急いでしまう。ここで一度立ち止まってみよう。専門家の発言、ネット記事から陰謀論まで、情報を吟味するとはどういうことなのか。哲学者と考える実践の書。
目次
序章 フェイクニュースとは何か
第1章 他人の言っていることを信じてもよいのか
第2章 うわさは信じてよいものか
第3章 どの専門家を信じればよいのか
第4章 マスメディアはネットよりも信じられるのか
第5章 陰謀論を信じてはいけないのか
終章 真偽への関心は失われていくのか
著者等紹介
山田圭一[ヤマダケイイチ]
1973(昭和48)年生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、千葉大学大学院人文科学研究院教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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KAZOO
84
これはフェイクニュースの理論のような感じの本です。「フェイクニュースの見分け方」という本は実際の例をかなり取り上げている感じでしたが、フェイクニュースが出てきた事情や陰謀論などとの関連などを哲学的な論点で評論しています。非常にまじめな本であるとともにかなり難しいことをわかりやすく説明してくれています。「どの専門家を信じればいいのか」などはためになりました。2024/11/15
けんとまん1007
63
そもそも、情報とは何か?正しさとは何か?自分で判断するためには、何を考えるのがよいか?などを、考えながら読んだ。自分なりに考えているのは、極力、一次情報に近づくこと。安易に判断してしまわずに、考え続けること。どなたかの感想にあったネガティブケイパビリティだと思う。あとは、時間を置いて振り返ること、振り返ろうとする姿勢だと思う。今の時代、いろいろなバイアスがかかっていると思うが、それを前提に考えるだけで、随分、違ってくると思う。2024/12/11
壱萬参仟縁
56
S図書館。知的に隷属している人:他人は自分の知らないことを知っていると考えてしまい、他人の考えにいつも従ってしまう人(113頁)。そうではなく、判断を委ねるべき場面で判断を委ねるべき相手にきちんと判断を委ねることができる人が知的な謙虚さという徳をもつ人。判断を自律的に行える人こそ本当の知的に自律している人(114頁にかけて)。E・パリサーのフィルターバブル:ネットで利用者の思想や行動特性に合わせた情報ばかりが作為的に表示される現象(139頁)。エコーチェンバー:SNSなどで自分と同じような意見ばかりが跳ね2024/11/23
よっち
40
フェイクニュースとは何か。「知る」ことを哲学的に考察し、「真理を多く、誤りを少なく」知るための方法、そしてその意味を問う1冊。真実性や正直さの欠如など様々な観点が提案されてきたフェイクニュースの何が問題なのか。様々な動機により間違った情報により被害が広まる、知的権威への信頼が損なわれる、意思決定の正統性が失われるといった問題。専門家やマスメディアの信頼は取り戻せるのか、陰謀論に対してどう向き合うべきなのかなど、視界に入る情報が玉石混交と化している情報を吟味することの意味をいろいろ考えさせられる1冊でした。2024/10/13
武井 康則
16
我々は真実にたどり着けるのかは哲学で認識論と呼ばれ、あまり興味がなかったが、SNSという今までになかった情報媒介が現れ、20世紀終わりに「社会認識論」という分野が確立されたという。SNSをどこまで信じていいのか、まず何をどこまでどうやって信じていいか、ネットニュース、陰謀論、政治家の発信。それらを哲学的に丁寧に簡潔に理知的に論理的に語っていく。小手先でなく思索とは、そのための真実をどう獲得するか、真摯な姿勢と文章が最後まで貫かれている。今年のベストに入る一冊。2024/12/17
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