出版社内容情報
「幸福とは何か」。哲学は、このシンプルにして解きがたい問いから始まり、その問いに身をもって対峙したのがストア派の哲人たちであった。ギリシアからローマにいたる西洋古代哲学の系譜をおさえつつ、エピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウスらのゆたかな言葉から、〈生きること〉としての哲学を手繰りよせる。
内容説明
「幸福とは何か」。哲学は、このシンプルにして解きがたい問いから始まり、その問いに身をもって対峙したのがストア派の哲人たちであった。ギリシアからローマにいたる西洋古代哲学の系譜をおさえつつ、エピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウスらのゆたかな言葉から、“生きること”としての哲学を手繰りよせる。
目次
序章 幸福問答
第1章 新時代のための哲学―インペリウムの下で
第2章 自然に従って生きる―自足する心
第3章 自由に至る道を探す―意志と自由
第4章 必然の呪縛を逃れる―運命と摂理
第5章 情念の暴走を抑える―理性と情念
第6章 失ってはならぬもの―人格と尊厳
終章 哲人たちの人生談義
著者等紹介
國方栄二[クニカタエイジ]
1952年、大阪府生まれ。1985年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学、文学博士(京都大学)。専攻、古代ギリシア哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
崩紫サロメ
29
幸福とは何か、人は運命から自由になることができるのか、自殺の是非など、現代にも通じるテーマを通してストア哲学を読み解く。哲学を無用とする見方は、紀元前5世紀のギリシアに存在していたことが指摘されている(p.31)。哲学を学ぶということは単なる情報の伝達ではなく、学ぼうという意志によるものであると締めくくっている(p.214)とおり、本書で示される哲人たちの人生談義が無意味なものとなるか否かは結局読み手である我々次第なのだと改めて感じた。ストア派を学ぶ入門としても良い1冊。2022/09/22
rigmarole
21
印象度B+。ストア派の思想を古代ギリシア哲学からの系譜で読み取り、人生論というテーマで実に分かり易くまとめています。それを現代の文脈で解釈して、私たちに考えさせる契機を与えてくれます。当然のことながらギリシア・ローマ哲学からの引用が多く、モンテーニュを彷彿としました。エピクロス派とは、森羅万象の理解や幸福へと至る道筋が異なっているものの、目指す所は同じであり、また心の持ち様については意外と近いと感じました。ともあれ、先の『偶然のチカラ』と比べて、同じ新書でもレーベルの格の違いは歴然(当然岩波の方が上)。2022/09/04
buuupuuu
18
ストア哲学は、死を前にしても動じなかったソクラテスのような生き方を理想としたのだろうが、無常観や運命論など、どこか暗さを感じさせる。儘ならぬものにどう対峙するかという問いが、前面に出ているような印象だ。自分の身体や生命ですら、意のままになるわけではない。そういったものは仮初めのものと捉え、使えるものは使い、執着はしない。力の及ぶ自らの指導的部分をしっかりと統御することに集中する。ここに初めて哲学的な自由の概念が登場する。激情は認識ミスによって生じる混乱であり、正しい判断によって抑えられるというのが面白い。2022/08/17
大先生
12
ストア派を中心とした哲学の解説書。情報量が多い。ストア派ではない「樽の中(実際は水甕)のディオゲネス」が面白い。有名な話ですが、アレクサンドロス大王が、日向ぼっこしているディオゲネスに、「なにか要るものはないか」と尋ねたところ、ディオゲネスは、「なにも要らないから、日差しを遮らないでくれ」と求めたと。この時大王は、「自分がアレクサンドロスでなければ、ディオゲネスでありたい」と言ったとか。なお、キュニコス(犬)学派と言われることが多いものの、特に学問を継承するような集団ではないそうです。2025/01/13
かわかみ
9
マルクス・アウレリウスやセネカなどローマ時代のストア派の哲人たちの思想は人生論としてよく読まれている。しかし、理屈っぽいギリシャ時代のストア哲学に遡ると、運命論と出来事には善悪の差別がないという思想のために、生き方の指針としては如何なものかと批判されていたそうだ。また、エピクロスの快楽主義はもちろん感覚的・肉体的な快楽を否定したわけではない。ただし、同時に快楽の階層を考えて心の平安を最上位に置いたのだという。哲学史に沿って元を辿ると啓発書や実用書ではわからない意外な面も見えてきた。2025/02/08