出版社内容情報
「近頃,日本人がヘタになっている!」と嘆く著者.ところが,遡れば江戸庶民文化から,ピカソ,岡本太郎,東海林さだお,立川談志まで,そこには脈々とヘタウマが息づいていたのだった.いまや芸術・芸能・サブカルチュア全般を席巻するヘタウマ文化.著者ならではの愉快痛快な筆が,日本文化を鮮やかに読み解く.
内容説明
「近頃、日本人がヘタになっている!」と嘆く著者。ところが、遡れば江戸庶民文化から、ピカソ、岡本太郎、東海林さだお、立川談志まで、そこには脈々とヘタウマが息づいていたのだった。いまや芸術・芸能・サブカルチュア全般を席巻するヘタウマ文化。著者ならではの愉快痛快な筆が、日本文化を鮮やかに読み解く。
目次
オモシロいって何だ
ヘタに賞だと?
ヘタウマとの出会い
糸井重里という思想
江戸テインメント
駄句のこころざし
談志が出来なかった芸
ピカソは途中でやめなかった
昔の物真似
モノマネ維新
シンボーひまなし
伊東四朗のユウウツ
山口瞳を呼び戻したい
日本文化を括ってみた
「日本漫画」が消えた
「文春漫画賞」かけあ史
ミスター・ヘタウマ・東海林さだお
著者等紹介
山藤章二[ヤマフジショウジ]
1937年東京に生まれる。武蔵野美術学校デザイン科卒業。広告会社をへて、64年独立。講談社出版文化賞(70年)、文藝春秋漫画家(71年)、菊池寛賞(83年)などを受賞、04年には紫綬褒章を受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
蔦屋重三郎そっくりおじさん・寺
29
老いた山藤さんの繰り言めいたエッセイ。かろうじてテーマがあるメモか。後書きは唐突に直筆である。あらゆる人達を論じているが、この本に出て来る一番若い人物は松尾貴史やNHKの渡邉あゆみアナ、笑点の林家たい平である。あれこれ読んで、最終章は東海林さだおがミスターヘタウマだと言う終わり。私は大体江戸っ子の矜持に鼻持ちならないものを感じる性分ではある。唯一コサキンが褒められているのはよかった。2013/08/13
とら
26
NHKの「ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ」で”ヘタウマ”という言葉があることを知って興味を持ち、ついに新書へ手を出すに至る。最初ヘタウマって文化があることを知ったとき、自分の好みにピッタリ合うと思って本当に嬉しかった。周りからはあまり賛同されないのをいつも歯痒く思ってた。漫画を選ぶときは絵よりストーリー重視派ということであり、しかも逆に下手な絵に魅力すらも感じていたからだ。この新書だが、勿論漫画メインでやってくれたらもっと嬉しかったが、ヘタウマというジャンルはそれだけに縛られないことがよく分かった。2016/01/26
猫丸
14
山藤さんの好みを語るエッセイであり「論」までには至らない。面白いのは、登場する人物に偏りが見られること。さすがに糸井重里は出てくる。それから南伸坊。といっても画業ではなく、他人の顔を自らの顔面で表現する芸に関してである。ヘタウマと聞いて僕が思い浮かべるのは渡辺和博、蛭子能収、湯村輝彦などだが、彼らが出てこない。このあたりの80年代の宝島、青林堂的空気はお気に召さないようだ。赤瀬川原平も出てこないが、これは「ウマい」方に入れたのだろう。2024/03/25
Koki Miyachi
8
似顔絵作家として有名な山藤章二の文化論、気が利いたエッセイ。ウマイ・ヘタの二極に対して、むくむくと隆起してきた「オモシロい」という第三極の出現。こうした時代認識からヘタウマ文化論が始まった。話題になるのは、糸井重里、蔦屋重三郎がプロデュースした文化人たち、立川談志、パブロ・ピカソ、古川ロッパ、エノケン、タモリ、南伸坊、伊東四朗、山口瞳、日本文化、日本漫画、東海林さだお などなど。。。「現代の戯れ絵師」の視点を通した文化論は、似顔絵と同じく鋭くユーモアたっぷり。視界広く昭和文化史を見渡せてとても楽しい。2015/02/02
壱萬参仟縁
8
極めて読みやすい。短文であるし、字体もいくらか大きめ。落語の「フラ」とは、「おかしみ」(74頁)、つまり、諧謔味? あとがきは、著者の肉筆から成っている(196頁~)。下手の原因は、手抜きと無責任だと評者は実感している。丹精と責任の職人肌を復活しない限り、真の日本再生はないのではないか。2013/06/05