内容説明
敗戦の日に戦争責任をとる形で朝日新聞社を去った著者は、いま、その選択を悔いる。残って「本当の戦争」を伝え直すべきだった、と。週刊新聞『たいまつ』休刊から三十年、その深い思索と熱い主張の到達点とは―。従軍記者体験をふまえ、憲法九条のもう一つの意味、社会主義挫折への見方、そして未来を照らす希望の在りかを語る。
目次
第1章 ジャーナリストへの道
第2章 従軍記者としての戦争体験
第3章 敗戦前後
第4章 憲法九条と日本人
第5章 核兵器のない世界へ
第6章 絶望のなかに希望はある
著者等紹介
むのたけじ[ムノタケジ]
本名・武野武治。1915年、秋田県に生まれる。東京外国語学校スペイン語科卒、報知新聞社を経て朝日新聞社に入社、記者として報道に携わった。1945年8月15日、戦争責任をとる形で退社し、1948年、秋田県横手市で週刊新聞『たいまつ』を創刊、1978年の休刊まで主幹として健筆を揮った。その後も、著作・講演などを通し、ジャーナリストとして活動している
黒岩比佐子[クロイワヒサコ]
1958年、東京都に生まれる。慶應義塾大学文学部卒、ノンフィクション・ライター。著書に『「食道楽」の人 村井弦斎』(岩波書店、サントリー学芸賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ryohjin
13
ジャーナリストのむのたけじさんが、黒岩比佐子さんを聞き手に語っています。1915年生まれのむのさんはこの時(2008年)93歳。 太平洋戦争前に新聞記者となり、開戦後従軍記者も経験し、敗戦をむかえています。その8月15日に、戦争時の記者としての責任を感じて新聞社を退職。以後故郷の秋田県(横手市)でジャーナリストとして活動し101歳で生涯を終えています。戦争が体験として語られており、戦後の日本はまず食べることに必死で、戦争のけじめをつけてこなかったことの指摘を重くうけとめました。2024/05/05
グッダー
2
むのたけじさんは戦前戦後、ずっと日本を見てきて、国民が自分の意見や自分の考えを、捨てていく様を見てきたのだと思う。だから社会のせいにする、今の日本人を見て危機感を抱いている。こんな社会になったのは、政治家のせいだと諦めて日本人は、選挙に行かなくなった。社会のせいにするなというのは、こんな社会になってしまったことを諦めて無条件に受け入れて黙るということではない。こんな社会にしてしまったのは、自分だという主体性が大切だ。自分の中に自分がいない。今の日本人をうまく表した言葉だと思った。2016/03/31
4
2
むのさん、叩き読みします。ありがとうございました。2013/08/06
シフ子
2
感想を書かないまま図書館に返却。先輩でも先生でもなく「むのさん」と対等に呼ぶ学生がいることについて 戦後このように序列のない若者が出てきたことを重要視していることが印象に残る。また 戦争中兵士を動物扱いし 慰安婦に性処理させた箇所が 言葉を濁さず赤裸々に語られ 衝撃を受ける。兵役についた夫はその忌まわしい体験を家族には決して語ることができないという。戦争は 殺し合うからいけないだけでなく 人間の尊厳を根こそぎ奪うものであり 生還しても精神に異常をきたすものとして忌むべきものであるとしている。2011/10/06
takao
1
ふむ2024/07/28