出版社内容情報
今から百年前,アジアで最初の国会開設要求の国民運動が日本全国からわきおこった.一八八一年は,この自由民権運動の最高潮の時であり,民衆憲法草案が続々起草され,自由党が結成され,専制政府は崩壊の危機にまで追いつめられた.各地で進められている研究活動の成果をふまえ,自由民権の全体像を構築し,現代的課題を明らかにする.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
樋口佳之
53
日本の民権結社が一定の理念と利害関心を共通にする人びとによって自由に結成された機能集団/簡略に表現すれば、〝学ぶ〟〝助ける〟〝稼ぐ〟〝戦う〟〝楽しむ〟〝開く〟ことによって、人間の全体性の実現をめざす新しい結社/「戦う」以外の要素を持っていた事が大事だったんだろうし、それはいつの時代になっても同じ事だなって読みました。2023/05/11
おさむ
30
40年近く前の新書だが、その主張と分析は全く色褪せておらず、むしろ重要性を増している。「現在の民主主義は名目的多数派の専制の道具に成り下がっている。国民が主権者なのは4年に1度の選挙の時だけで、翌日からは無力な被治者に戻る」各地の民衆思想を掘り起こし、自由民権運動は市民革命だったことを浮かび上がらせます。中江兆民や植木枝盛の先見性には驚くばかりです。エリート中心史観ではなく人民の歴史だった。民権家達は政府や権力は必ず悪をなすもので人民の絶えざる監視と批判が不可欠だと知っていた。現代人よりもよっぽど賢いな。2017/12/06
k.kishida
7
以前読んだ松沢先生の自由民権運動とはちがってこちらはプラス面を強調している。書かれた年代が違うということだろうけれども、私はやはり自由民権運動自体はプラスで評価するべきだと思っている。2022/12/26
富士さん
4
農村の自由民権運動団体論は出色です。これらが地縁から離れた自由意思による後天的なコミュニティであるという指摘は、江戸末期に現れた尊王攘夷グループや新選組との流れで自由民権運動を理解する視点を与えてくれます。また、これらの団体の機能に、事業開拓などの機能が存在していたという指摘は、戦後の学生運動が生活を欠いた消費だけのもので、”ハレ”のお祭りだったことを考えると示唆的です。指導した上層農民の持つ生活に根差した自由や身分に伴う責任の精神は限界があったとしても特筆すべきで、くどくどしい弁護はいらない気がします。2021/02/01
sakesage
2
民権論から国権論に容易になびこうとする今だからこそ自由民権運動が悩んだ点を追いかけたい。天皇制を是とすれば差別の上に成り立つ社会として地方自治はおろか、被差別部落民やアイヌ、沖縄、外国人などが周辺部の労働供給や基地、原発などを押し付ける関係はつづく。それだけではなく、植民地支配と侵略戦争をも是認することになるだろう。「民権これ至福なり、自由平等これ大儀なり」という兆民の国権よりも先にくる人間の侵すべからざる普遍的人権思想を考えさせられた。2024/06/20