出版社内容情報
「ぼくが望んだのは、生以前の虚無と以後の虚無を内包しているような書物を創り上げることでした」(ル・クレジオ)。既知と未知の、生成と破壊の、誕生前と死後の円環的合一において成就する裸形の詩(ポエジー)。「書くこと」(エクリチュール)の始原にして終焉の姿。
内容説明
既知と未知の、生成と破壊の、誕生前と死後の円環的合一のなかで成就する裸形の詩。「書くこと」の始原にして終焉の姿。
目次
物質的恍惚
無限に中ぐらいのもの(風景;作りもの;書くこと;未来;蠅殺し;罠;意識;鏡)
沈黙
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
やいっち
82
ル・クレジオの近著を読んで、40年ほど前、本書を読んだ印象が甦った: 月の光が、胸の奥底をも照らし出す。体一杯に光のシャワーを浴びる。青く透明な光の洪水が地上世界を満たす。決して溺れることはない。光は溢れ返ることなどないのだ、瞳の奥の湖以外では。月の光は、世界の万物の姿形を露わにしたなら、あとは深く静かに時が流れるだけである。光と時との不思議な饗宴。 こんな時、物質的恍惚という言葉を思い出す。2016/01/24
やいっち
47
この文庫版では再読。高校時代だったか、書店で単行本を見掛け、手にし、奇異な表現にひたすら好奇心で買った。当時の(今もだろうが)吾輩には全く付け入るスキのない表現。冒頭の「物資的恍惚」なる導入の一篇で圧倒された。吾輩は小説だろうと思って読んでいた。エッセイだと知ったのは、文庫版を手にした時だったような。 ただ、「物質的恍惚」という表題に訳も分からず魅入られた。この言葉だけで妄想的な雑文を幾つも綴った。ル・クレジオの詩的世界とは全く縁もゆかりもない世界を彷徨ってみたのだ。 2025/03/18
zirou1984
45
言葉という思弁が構築する観念の城塞、もしくは感覚を鋭敏化させた彼岸の景色。とても20代とは思えない、言語の命脈を熟知しているかのようなその鬼才ぶりと、決して20代にしか描けない、生命の果てへの純粋たる観念が渾然一体となった凄まじい書物。言葉が言葉と重なり合うことでイメージが爆発し、論理的作用によって追い詰め感性的効果によって突き落とそうとする、理屈とイメージが溶け合った表現がひたすらに素晴らしい。そして真空へと無へと向かうそのベクトルの力は「無限に中ぐらいのもの」である生の根源と共振し、越えていくのだ。2014/12/03
くまさん
40
「一冊の本、それは何に役立つのか」。この問いへの全応答が残されている。事物をあるがままに眼にし、自然と他者たちと「自己に即して」生きること、その倫理的な生の内実は何か。「物質とのおよそ最も恍惚たる溶け合い」のなかで現在の歓喜を生き、個体の「悲しさ、弱さ、凡庸さ」を知るために実感と着想の断片を積み重ねるしかない。「言語と意識との至高の到達」としての沈黙というのは本当か? 何のために書くか? 作家は永遠の課題を前に妥協なく対峙する。恐怖、眩暈、戦慄、空虚、深淵、信念、明晰、愛、歓喜、充溢……、すべてが始まる。2020/05/07
踊る猫
34
作家にとって言葉とは何だろう。それはもちろん、自家薬籠中の物としている素材であるはずだ。だが、同時にその言葉が限界となって彼/彼女を苦しめるとしたら。このエセーの中でル・クレジオは言葉を通して世界を記述し尽くすことを試みている。眼前に存在するもの、脳裏をよぎるもの……もちろん凡そそんなことは不可能なわけだが、その不可能に挑む果てに前衛文学のようでもあり哲学小説のようでもあり、そんな浅い整理に収まり得ないような深い書物のようでもあるこの奇書をこしらえてしまったのだから恐ろしい。読みながらその情熱に息を呑んだ2022/10/18