内容説明
「本当の人間は妙に纏めにくいものだ。」十九歳の家出青年が巡る、「地獄」の鉱山と自らの心の深み―「虞美人草」と「三四郎」の間に著された、漱石文学の真の問題作。最新の校訂に基づく本文に、新聞連載時の挿絵を収録。
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感想・レビュー
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藤月はな(灯れ松明の火)
88
漱石版ブラック企業職業記的小説でもあり、『海辺のカフカ』でカフカ君が読んでいた本。でも私は自意識過剰で周囲には無頓着な主人公にイライラしてしまって・・・。結局、家出したのは女性二人にいい顔してフラフラしていていた事を家族から追求される嫌さから。意志がないのに他者に上から目線。元学生の坑夫、安さんの言葉も馬の耳に念仏で「彼がカリスマになれたなら俺もなれる」と謎の自信。挙句は「俺は美女二人が取り合うほどの男だったんだぞ」って思う所は呆れ果てるしかない。働くのも、生き抜くのも大変なのに何をいけしゃあしゃあとボケ2017/01/10
NAO
52
金持ちの坊ちゃんが足尾銅山に連れて行かれた実体験を、漱石が小説化したもの。華厳の滝に飛び込むつもりで家出をしたらしい主人公は、炭坑の穴を一段ずつおりていくことで、死を仮体験し、生きることを選ぶ。「生きて登って行く。生きると云うのは登る事で、登ると云うのは生きることであった。」主人公を虐待したり、半死の病人をからかったりと荒々しく残酷な坑夫が多い中、早く娑婆に戻れと諭す飯場頭や主人公と同じような過去を持つ安さんの存在が光っている。2016/03/18
壱萬参仟縁
38
本当の人間は妙に纏めにくいものだ。神さまでも手古ずる位纏まらない物体だ(14頁)。人間は中々重宝に社会の犠牲になる様に出来上がったものだ(32頁)。現代は原発労働者。もし死んでから地獄へでも行く様な事があったなら、人の居ない地獄よりも、必ず鬼の居る地獄を択ぶ(77頁)。自分は普通の社会と坑夫の社会の間に立って、立派に板挟みとなった。笑い声が起った時は、情ない程不人情な奴が揃ってると思った(147頁)。現代のイチエフで働かされる人を思わざるを得ない。2015/09/08
ころこ
32
写生文と江戸口調の名残と小説的な自意識がハイブリッドになった饒舌体は、「自分」(また珍しい一人称を使っています)の一人称による視点の安定によって上手くバランスがとれています。さらに話の単純さが心地よく、文章の長さの割に思いのほか読み易い。「地獄めぐり」のような小説ですが、道徳的でもないので、漱石が苦手な読者にもお勧めです。「自分」は19歳と若い。自殺をしようとして死にきれず、抗夫になろうとしてなり切れなかった。しかし、そのおかげで鉱山病にならずに、諦めと共に危機を何となく回避します。回想が間接話法と同様の2020/10/19
ちゃっぴー
21
漱石作品のなかで評価が低いと言われてるようですが、私は面白く読みました。色恋沙汰で家出したお坊ちゃんが斡旋屋に誘われるまま抗夫になろうと、鉱山へついて行くという話。もう死んでもいいやと思うほどのどん底に落ちながらも、ゆらゆらと揺れ動いてしまう心。漱石は人の心の捉え方が上手いなあと思いました。2016/10/12