内容説明
フランクフルト学派の名著。亡命先のアメリカで書かれた。西欧文明の根本的自己批判として名高い。“啓蒙”の光と闇を理論的軸にオデュッセイア論・サド論で具体的に神話の寓意や道徳の根拠を検証。米国大衆文化や反ユダヤ主義批判によって近代の傷口を暴き現代の課題を示す。
目次
1 啓蒙の概念
2 オデュッセウスあるいは神話と啓蒙
3 ジュリエットあるいは啓蒙と道徳
4 文化産業―大衆欺瞞としての啓蒙
5 反ユダヤ主義の諸要素―啓蒙の限界
6 手記と草案
1 ~ 2件/全2件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
きゃんたか
29
科学と合理主義による啓蒙を受けた先進的人類が、何故にホロコーストという人類未曾有の蛮行に及んでしまったのか。本書を貫く真のテーマは、この命題に収斂される。印象的な指摘は、ユダヤ人の存在が直接的に敵意をもたらしたのではなく、彼らを包み込む神話の数々がレッテル化し、縁もゆかりもない貧しいドイツ人労働者の被害妄想パラノイアの捌け口にされてしまったという事実だ。かかる心理的倒錯までが正義の名のもとに正当化されてしまう啓蒙の怖さよ。良心の麻痺と無反省を助長する大衆文化に警鐘を鳴らし、科学主義の偶像に終わりを告げた。2018/01/07
しゅん
22
「哲学的断想」という題名通り、実は人つなぎのストーリーや証明経路を持った哲学書ではない。解説で強調されているそんなポイントすら11年前には認識することができなかったな。今も細かい論旨は取れないが、オデュッセイア、サドとニーチェ、アメリカ文化、反ユダヤ主義、そしてエッセイ集から浮かび上がるものが、「自然を征服するとすべてが自然になる」という反転であることがわかる。この反転はバタイユのヘーゲル理解に通じるし、男性性への否定的言及はボーヴォワールにと通じる。第二次大戦前後の同時代性が見えてくる。2023/09/22
karatte
16
古書店にて3年以上前に購入。アドルノ単著の『否定弁証法』だけ知っていたが、ホルクハイマーに至ってはその名前すら知らず。当時のアメリカ大衆文化や反ユダヤ主義といった紋切り型はさて措き、ヘーゲルすらろくに読んでないのに、いきなりこれというのも我ながら無理がある。それでもⅡのセイレーンの件(のび太の魔界大冒険!)や「誰でもない者(ウーディス)」に関する考察は知的興奮を覚えたし、Ⅵは宛ら20世紀版ニーチェといった趣。そしてⅢの最終頁は、全文引用したくなるほどに感動的なサド及びニーチェへの賛美となっている。2016/06/30
またの名
14
マゾヒズムにおいて攻め手がいつしか受け手の欲望通りに動く人形に転じるように、対立していた二項が相互転換する弁証法。野蛮な神話の魔術的世界を打破しようとした啓蒙は、妖女が繰りだす誘惑を退けながらも計画的に準備した安全地帯から毒抜きされた快楽に溺れる神話内のオデュッセウスと同様に、厳密な論理や理性があたかも魔術の如く個人を束縛し支配する野蛮状態に戻ってしまう。社会への反抗者を気取ってもマーケット公認になり、公正普遍を自任するリベラルな理想が実は偏った利害を支えているとファシストに暴露される。出口は未だ遠い先。2016/09/23
富士さん
8
文化産業論を目的に読んだのですが、反ユダヤ主義論がよかったです。ユダヤ人だけでなく、人を差別して迫害する時の人の心理がうまく説明されていました。しかし、やはりフランクフルト学派の主張の仕方は不快です。記述はデータを集めたり調査を行って、それを分析する研究というよりは、目の前にある出来事の印象や言葉の意味を論じる、反射的な時事評論に類すると思います。確かに、不当な暴力にさらされている場合の反撃のよすがとしては有用ですが、”危機にさらされている”という印象だけでこれを行えば、ナチのやり方と本質的に変わらない。2021/01/15
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