出版社内容情報
『この人を見よ』が書かれたのは一八八八年の秋,ニーチェ四四歳のときであり,以後彼は死の年まで十一年間を狂気の闇に生きることになる.この破天荒な自伝は,あらゆる価値の根本的転換を説きつづけたニーチェの全思想について自らなされた解明であって,われわれはこれによって彼の内面的全体像を把握することができる.
内容説明
『この人を見よ』が書かれたのは1888年の秋、ニーチェ(1844‐1900)44歳のときであり、以後彼は死の年まで11年間を狂気の闇に生きることになる。この破天荒な自伝は、あらゆる価値の根本的転換を説きつづけたニーチェの全思想について自らなされた解明であって、われわれはこれによって彼の内面的全体像を把握することができる。
目次
なぜわたしはこんなに賢明なのか
なぜわたしはこんなに利発なのか
なぜわたしはこんなによい本を書くのか(悲劇の誕生;反時代的考察;人間的な、あまりに人間的なおよび二つの続篇;曙光;たのしい知識;ツァラトゥストラ;善悪の彼岸;道徳の系譜学;偶像のたそがれ;ワーグナーの場合)
なぜわたしは一個の運命であるのか
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Gotoran
32
発狂する年の前、1888年(44歳)にニーチェ活動の最終段階に書かれた自叙伝的意味合いの本書。数々の皮肉を交えた自画自賛が綴られている。ニーチェの思想と著作全体について、ニーチェ自身によってなされた解明、『悲劇の誕生』・・『ツァラトゥストラ』・『善悪の彼岸』・・・、自己の著作を自ら総括。”私は人間ではないのである。私はダイナマイトだ。”が意味深。ニーチェ(思想)を知る上で貴重な位置づけと感じつつ、再び『ツァラトゥストラ』にトライしたくなった。2014/01/04
バズリクソンズ
21
ニーチェが正気を保っていれた時期に書かれた事実上最後の著作。最後とは言え、自作に対する詳しい解説といったところもあり、真っ先に読むべき入門編とも言える。痛烈なドイツ人批判やアンチクリストの記述は極論とは思ったものの、不思議と一理あると思わせられたのは翻訳の優秀な文章の成せる業か。全編に渡るニーチェの自身過剰と取れる内容は、しかしながらこれほどの哲学者ならそれも許されるのかなと納得のいく内容。その中でもワーグナーだけは終始賛辞を送っているのはニーチェに人間的な一部分が垣間見えて中々興味深い、名著。2022/05/07
S.Mori
18
ニーチェの自伝です。本書に書かれている「運命愛」と言う言葉に感激しました。これは辛いことも嫌なことも、悲しいこともすべて自分の身に起こることは受け入れることです。この言葉は、ニーチェ自身の有名な言葉「神は死んだ」と表裏一体なっていると思います。「神は死んだ」は今ではありふれた言葉ですが、重みがあります。神様がいないので、自分の人生は自分で引き受けなければなりません。その宣言ともいえるのが本書です。キリスト教を否定したニーチェですが、「運命愛」と言う言葉は、自分は何ひとつ悪いことをしていないのに、→2020/03/04
ぶらり
18
キリスト教や隣人愛といった果実に群れる畜群に神の死を説き永遠回帰への昇華を鼓舞するニーチェの全体像がおぼろながらも見える書。全ての価値転換に挑みデカダンを踏越えワーグナーをその象徴として崇め、ディオニュソスに至ってワーグナーを疑い破壊する。ニーチェは、ワーグナーによってツァラトゥストラを生み、ディオニュソスに至って再生し完成させる。十字架にかけられたキリストからキリスト教が誕生する土壌にデカダンス的危機を見出した彼は、自らをキリストと捉え幾度も死して完全淘汰の法則即ち永遠回帰に至るのだが、あまりに詩的か…2010/10/29
しゅんしゅん
17
ニーチェ発狂前の煌めき自伝。おそろしい高揚感の中で既成の価値観をことごとく転覆させる超人としてのノリに乗った飛翔。撃墜する狙撃の対象は神にも及び、ついに神を超越してしまった孤独もあるが、人間が本来回帰すべき自然への記述が光るのが純粋な自然主義者としてのニーチェを強く感じさせて、自然にそぐわない偽善的なお仕着せの理想主義に耐えられない高潔さを感じ取る事ができる。個人としてここまで彼を飛翔させた契機となったのは紛れもなく病気の体験であり、苦しみの反動から苦楽すべてを内包して統括するおそろしい哲学が創出された。2021/10/19