出版社内容情報
ケーベル博士はヒルティを自分の「生涯の伴侶」の一人に数え,「彼の如く,若き人々の師となり友となるに適せる者は,近代の著作家中きわめてまれである」といっている.本書はヒルティの代表的な宗教的・倫理的著作であり,深い学識と不動の信念から出るその深い思索は,真摯に生きんとする人々へのよき人生案内となっている.
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ベイス
71
非常に力強く、いかに生きるべきかを説く。物事を判断する際の基準が「出たとこ勝負」な自分に、信頼に足る指針が示されたような読後感。ヒルティーが再三語るように、この指針の「正しさ」は経験することでしかわからないのだろう。その経験は足りないが、しかし「確からしい」ことは、なぜだか感じられるのだ。指針をもらえたことによる、これまで感じたことのない「安心感」たるや。中でも「キリスト教序説」の力強さには胸を打たれる。さて、ここに書かれていることをどう自分なりにカスタマイズしていけるか。この感覚を持ち続けられるか。2023/03/17
かわうそ
50
再読。憎しみや意地悪だとか人間の悪い感情というのは恐怖心から来ているとヒルティは言うんですね。この恐怖心は自己防衛本能が元になっていると思います。また他方で同じくこの本能から生まれるもので利己主義というものがありその利己主義は他人に望みを持つ、つまり他人に媚びるという行為に繋がるわけです。 この他人に望みを持つあるいは恐れを持つということはまさに自我を捨てきれていない状態であり、神への畏怖によってそれを乗り越えていくということのためにヒルティは宗教の必要性を解くのです。2023/02/19
かわうそ
49
ヒルティ曰く、教養とは「利己主義の克服、特に享楽欲の克服」をするため、または、「享楽欲、ならびにそれと因果関係のある怒り」を克服し、「自分のことだけしか念頭にない」という俗物を脱出させるものです。この点はショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』と重なるものがあります。『個体化の原理』は超越されなければいけないです。故に学者に限らず、農民や庶民たちが教養が身につける場合も多々あったのです。教養を身につけている状態というのは自己克服であり「自分自身から解放」された状態といえます。2022/09/30
壱萬参仟縁
28
市民階級が、悪いものを、生活から排除したいと願うなら、簡素な生活様式に立ちかえり、享楽を捨てること。不正に得た金が正しく節約されるためしはまれ(56頁)。真の(傍点)勇気は、徐々に、苦しい日々にのみ 学び(傍点)えられる。正しい人生観を得たり、人間の型が大きくなったりするのも、苦難の日の賜物(79頁)。傲慢と虚栄心とは、人間の真の幸福をはばむ最大の敵の仲間(83頁注*)。人の苦しみを喜ぶ嫉妬心。苦しむ人を助ける義侠心。人の難儀を見て過ぎる冷淡さ。 2014/11/06
ももたろう
24
「教養とは、本質的にはひとの内なる力をしだいに正しいもの、真実なものへと発達させていくことであり、その目的とするところは自分の精神的本質を向上させて、その持ち前の動物的感覚性のきずなからそれを解放することであり、また心身の完全な健康を保ちながら、その精神的本質をより高い生活水準にまで育てあげることである」(P175)「真の教養の証拠は第一に精神の健康と力がしだいに高まってゆくことであり、次に一種のより高い聡明さがあらわれてくることである。最後に、その人の器量が独特の大きさを加えることである」(P162)2016/04/04
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