出版社内容情報
存在の根拠を「精神」に求める唯心論と,それを「自然」に見出す唯物論との対立の歴史は古い.ヘーゲル学徒として出発し,逆に実在の根拠を個物に求める独自の人間主義的唯物論に至った著者は,本書において意志の自由に関する考察を通して,古代唯心論・キリスト教倫理・近代合理主義・ドイツ観念論を批判.著者晩年の労作.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Ex libris 毒餃子
6
マルクスを理解するために読んだら泥沼にはまった。フォイエルバッハの唯物論は身体を仲立ちにしているのしか理解できなかった。2019/02/24
左手爆弾
4
ヘーゲルやフィヒテ、カントなどの哲学への批判が展開されているが、その批判の仕方が実におもしろい。哲学者が説く深遠な理論に対して、フォイエルバッハが語るのは極めて日常的な例である。その中でも冒頭の自殺論から始まる自己保存についての議論は重要であろう。自殺は決して意志の帰結ではない。人間の自然的条件を無視して意志によって自殺することはありえない。酒好きにとって酒のない生は無意味で、それはもはや生ではない。体を壊しても酒を飲むことが、客観的には緩慢な自殺に見えても、当人にとっては生そのものである。2013/03/11
テツ
3
レポート作成中にカント批判の部分を流し読みしてそのまま放置していたのをようやく読了。精神と肉体は不可分であると僕自身も思うし、そこからスタートしなければ真理に到達するどころか世界を見つめることすらできないと確信しているので、フォイエルバッハによる唯心論への批判は僕自身の考えにとてもマッチしていて読みやすく理解出来た(つもりになれた)けれど、全体的に腑に落ちない部分も多数あり、近いうちに塾で解説して頂きながら再読したい。2015/11/08
うえ
2
「どこにも存在しないということはデカルト学徒…たちによって用いられた…表現である心はそうだ物質との結合のなかでもまあ自分の非物質性を失わず、したがってまた自分の非場所性の性格、すなわち自分がどこにも存在しないという性格を失わない。例えばニュッサのグレゴリウスは…『霊魂と復活とについて』で次のようにいっている。「霊魂は肉体との結合のなかでも変化させられない。霊魂は肉体によって混乱も混合もされないで止まっている。」したがって神の遍在とは、肉体との対立または矛盾から解放された心の非場所性以外の何物であろうか?」2025/01/02
YY
2
精神と肉体は切り離せないですよ、ってところから唯心論的な諸倫理を批判。そんだけっちゃそんだけなんだけど。自殺者に情を見せる彼の理論は一見の価値あり。でも、精神オンリーってところから厳密に導かれるもの以外の倫理については、存在論的なフォイエルバッハの唯物論から批判しにくいような気も。2014/07/22
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- 和書
- 間宵の母