出版社内容情報
『純粋理性批判』において認識原理の批判を行なったカントは「第二批判」とよばれている本書において道徳原理の批判を主題とする.義務のための義務を説いた崇高な道徳観が厳密な論理によって展開されているばかりでなく,その行論の間にこの哲人の深い人間洞察をうかがうことができる.倫理学史上の不朽の古典.
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
藤月はな(灯れ松明の火)
28
ルソー、スピノザは人間は感性的動物であり、前者は憐みの心で他者の利益を、後者は他社の獲得に自己利益を預かるとして人の為に為すとする。しかし、カントの場合は人間には理性から道徳を生み出し、自分の損得ではなく、自分が為すべきことを考えて行動するという。認識論と倫理学が絡む『純粋理性批判』を読んでいないのは失敗でした(・_・;)難しいです。しかし、思考実験では入院している友人に対して「やらねばいけなかったから見舞いに来た」ということへの道徳性についての疑問が投げかけられる。2013/07/14
ドン•マルロー
22
カントの純粋理性批判に次ぐ批判書。神と最高善との関係について述べた項が印象的であった。しかし、それ以外の大部分の箇所は、不可知という虚無の中へとおしなべて没していったのであった……2017/12/21
壱萬参仟縁
17
1788年初出。巻末解説から読む。 純粋理性は一切の経験的なものにかかわりなく 直接に意志を規定し得ることを証明する(325頁)。 尊敬(Achtung)は感情、極めて特異な感情である(334頁)。 敬語の意味をも再考させられる。 但し、尊敬は、快(傍点)の感情では ない(傍点)から、いやいや尊敬せざるを 得ない場合がある(162頁)のは否めない。 欲求能力とは、存在者が表象を介して表象の対象を実現するための 原因となり得る能力(傍点、一部略、27頁)。 2014/03/26
テツ
16
「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」定言命法。善なる行いに快楽を感じてはならない。ただただ善を為すこと。人間が到達することは絶望的だと思えるカントの道徳観。現実的ではないけれど物狂いのように道徳的にあろうとするカントの思考は必読であると思う。読後には軽々しく道徳だの善だの口に出すのが躊躇われてしまう。2017/06/10
CCC
14
幸福と最高善とは無関係だと言う主張に思えるが、それでいいのだろうか。しかしそんな最高善は人間に必要なものなのだろうか。神の存在も、特に必要ではない最高善を、どうしても肯定するために要請されたものに思えた。2018/01/15
-
- 和書
- 物語のおやつ