出版社内容情報
1804年9月,長崎に来航したロシアの全権大使レザーノフ.日本との通商を求めて交渉するが,幕府の対応は彼には不可解なことばかり.1994年にようやく公刊された,日本滞在中の日記.日露交流史の重要資料.
内容説明
1804年9月、長い航海の末長崎に到着したロシアの全権大使レザーノフ。通商を求めて交渉するが、日本側の対応にいらだちを募らせる―半年余りの日本滞在中の日記。本書は長年出版が禁じられ、1994年に初めて公刊された。開国への胎動のうかがえる日本社会や、日露交流史を考える上で、興味ぶかい数多くの事実に満ちている。
目次
カムチャツカから長崎まで
長崎来航
神崎沖にて
木鉢にて
梅ケ崎上陸
太十郎自殺未遂事件
レザーノフの病
庄左衛門の陰謀
警固兵たちとの交流
日露交渉会談
通詞たちの秘密工作
帰国の途へ
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Toska
14
日露関係史に重要な足跡を残しながら、結局通交ミッションに失敗した上、司馬遼太郎にはひどい風評被害を受けた気の毒な人。その日記は、言い逃れを繰り返す日本側の不誠実な交渉態度への憤懣に満ちている。一方、レザノフもロシア帝国の威信を振りかざして肩に力が入りすぎ、外交官としては柔軟性を欠いたようだ。国家間でゼロから関係を作ることの難しさ。結局、ペリーのような力技による強行突破が正解だったのか。2024/05/01
シャル
11
1804年、江戸時代も後半にさしかった時にやってきたロシアの全権大使レザーノフ。海洋冒険小説のような航海の書き出しから始まり、彼の目から見た、日本に到着してからの何もできないさせてもらえない、つかみ所のないじれるような拘束と交渉と、当時のロシア人が見た当時の日本の文化、そして見え隠れする通訳通詞たちの野心と歯がゆさが描かれる。まさに鎖国日本の姿が凝縮されているかのようで、苛立ちに満ちた描写も相成って、日本に充満する閉塞感と口車での防衛姿勢、そしてぼんやりとした平和を実感させられる。いつの時代も変わらぬ姿。2015/06/02
壱萬参仟縁
11
ベック式で「レザノフの名に人は怖じ、1804年レザノフの長崎来航」で覚えたな。僕も長崎は18年前に行ったことがあるが、坂のある港町であったな。通訳は膝をついて、家老の命令を卑屈なまでに畏まって聞いてから、振り向いて奉行が上官の帯刀と衛兵の帯銃を許可したと告げた(55頁)。長崎奉行の国書写し。意味不明な日本語とのこと(68頁)。思いやりが必要だ。助左衛門(サキザイマ)という通訳がいたという(75頁)。エカテリーナ肖像を所有。日本人はコーヒーは大好物(161頁)。庄左衛門は正しく通訳していないと(175頁)。2013/08/30
CCC
10
どうやら先延ばし外交は日本の伝統芸能のようだ。ただ、国の対応としてそれが間違いかというと、何とも言えないような気もする。レザーノフは外交官としてはやや気が短く、また妥協、譲歩の仕方が上手くなかったとも思った。また、日本側の人物の考え方が意外に自由、かつ客観的で、不満を平気で漏らすところには結構な驚きがあった。2015/02/11
isao_key
9
ペリー来航の半世紀前に日本との通商交渉関係の樹立を求めて長崎にやってきたレザーノフ。しかし交渉は捗々しくなく、日本側の固い拒絶にあう。レザーノフは日本滞在中に日記を書いていたが、日露関係の真相及び日本への使節派遣失敗が明らかになることを理由に1994年まで公表されずにいた。この後、ロシアの樺太・択捉襲撃事件が起こり、日本側ではゴローニンの幽閉すると、ロシア側は高田屋嘉兵衛を捕らえる。日露間の緊張状態が続く。本書には日本の回答引き延ばし、意図的な間違いなどロシアとの通商交渉を拒絶する意思がはっきり見える。2014/07/04