出版社内容情報
内藤湖南以来の京都東洋史学の学風を継承、発展させた宮崎市定(1901-95)。本書は唐と宋の間に明確な時代の分岐を見る独自の理論に基づいた通史で、文章は平易で論旨は明確である。上巻では歴史とは何かを問い、主な時代区分論を紹介し、古代から最近世までそれぞれの特徴を述べて、夏殷周から唐五代に至る歴史を概観する。(全2冊)
内容説明
内藤湖南・桑原隲蔵以来の京都東洋史学の学風を継承、発展させた宮崎市定(1901‐1995)。本書は唐と宋の間に明確な時代の変革を見る独自の理論に基づいた通史で、文章は平易で論旨は明確である。上巻では歴史とは何かを問い、主な時代区分論を紹介し、古代から最近世までそれぞれの特徴を述べて、夏殷周から唐五代に至る歴史を概観する。(全2冊)
目次
総論(歴史とは何か;時代区分論;古代とは何か;中世とは何か;近世とは何か;最近世とは何か)
第1篇 古代史(三代;都市国家の時代;戦国時代;秦;前漢;後漢)
第2篇 中世史(三国;晋;南北朝;唐;五代)
1 ~ 1件/全1件
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
39
歴史は客観的学問(13頁)。史学には時間の評価が大切(14頁)。史学は事実の論理の学問で、注意すべきは事実を抽象して抽象語を造ると、その言葉は独り歩きする危険がある点(19頁)。著者が問題にしたいのは、時間と空間が織り成す座標軸の広さ(21頁)。世界史や世界史の部分的研究と、現実に進行しつつある世界情勢との関連問題(32頁)。史家の研究は生き方の問題だが、過去の整理に重点を置く(33頁)。史学をどのように社会、人生に役立てるかの課題(38頁~)。2016/04/03
シタン
20
何よりも冒頭の総論が面白い!「歴史とは何か」から始まり、時代区分論に移り、各時代を概説する。歴史は人文学の基礎科学にして「時間の論理」であるという考え方、古くから伝わっていたり多くの人々が信じていても理屈に合わないものは疑う態度(“疑古派史学”)がとても好き。他方で歴史の本質は客観的事実ではなくその意義の評価であるとする。従って本書は宮崎博士による中国史の一つの評価である。上巻は博士の四分法でいう中世の終焉、すなわち宋の太祖(趙匡胤)の即位まで。明晰な文体で時間と空間のダイナミズム、相互作用が論述される。2019/01/21
モリータ
16
読みやすい。当時の定説に対して述べられた異説、そして仮にその異説が今となっては古いものになっていても、人名・事件とかの個別の知識は高校世界史で習ったことを活性化するだけなので、理解しながら読み進めるのが辛いとは思わなかった。いつでも見られる年表と地図が欲しいですね。2015/07/20
coolflat
11
前半は著者の考える時代区分や著者の世界史観について。後半からが五代十国までの中国の歴史。170頁。戦国時代(前403年~)の形勢を急変せしめたのは、戦争の間から生まれた二つの発明、鉄の使用と騎馬戦術の採用。戦国の七雄の中で騎馬戦術を最初に採用したのが趙だが、その効果を最終的に最大限取得したのは秦。188頁。始皇帝は偉大なる専制君主であったが、著者がこれを独裁と呼ばないのは、宋代以後の独裁君主制と区別するため。宋代以後は制度として法的な独裁君主が出現したが、古代はまだ個人の力量による専制という面が強かった。2016/04/05
isao_key
9
元は1977年6月に岩波全書から刊行された。(下巻は1978年6月)岩波全書は「信頼すべき基礎的学術書」をうたって出されたシリーズだけに、今なお揺るぎのない高い水準の研究書となっている。はしがきに、「私が大学を卒業した前後の頃、研究室には博学無比の大先生が揃っておられた。その学問の奥行きも間口も、いったいどの位あるのか見当がつかなかった」と述べているが、著者もこの系譜を受け継ぐ大学者である。単なる歴史書ではなく、読み物としてもおもしろい。ただ戦乱続きの中国史なので、年表を照らし合わせて読まないと混乱する。2015/12/08