出版社内容情報
本書はキリスト教文学としてひとり日本における古典的代表作たるにとどまらず,あまねく欧米にまでその名声を博した世界的名著.懐疑と感謝,絶望と希望,悲哀と歓喜,――主人公である「余」の「回心してゆく姿」は,著者独特の力強い文章をもって発展的に記述され,読者をしてその魂を揺さぶらしめる何ものかを蔵している.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
加納恭史
12
私の母方の親族は日本基督教団です。まあそのせいか親しみと縁がある。その親族は明治以来、江別の農家で開拓団であった。まあプロテスタントであるとは知っていたが、今回内村鑑三の本で当時のプロテスタントの様子が分かる。無教会派はカルバンの系統でユグノーやピューリタンと関係が深い。札幌農学校に入学以来、彼はキリスト教と縁が深くなる。出だしはメソジストらしい。半ば強制的にキリスト信徒となり、彼の苦悶と内面の葛藤の末に魂の変容を経験する。それから二十四歳で単身渡米し、養護院で働き大学に通う。人種偏見の中、天命を悟った。2024/12/23
たつや
9
名前は知っていたが、それだけでしたので、読了。内村鑑三は父親が江戸の藩士だった、後に新渡戸稲造と知り合う。海外にも行かれ、札幌に伝道され、聖書を伝えられ、昭和5年に七十歳で永眠された。師については、多くの研究の書があるそうだ、様々な意見もあるらしいので、時間があれば、探して読みたい。2026/05/19
moonanddai
8
最初から作者に言われてしまいましたが、「如何にして」はWhyではなくHowなのですね。Whyはどうやら強制的にといったところですが、その後キリスト教へ真摯に取り組むことになる。やはり気になったのは「基督教国」へ行った後のこと。基督教国の現実への失望、キリスト教に多くの会派があることへの悩み、そしてそれらを乗り越えての「(改めての?)回心」。良くも悪くも「神の思し召しのまま」、「私」を捨てて生きるということ…。私ども「異教徒」の「他力本願」とも似ている(?)。ただそこに介在するのが「木石」か否かの違い…?2017/01/19
anarchy_in_oita
6
P228「異教を余はつねに人間存在の微温的状態と考える、それは非常に温かくもなく非常に冷たくもない。(…)我々が基督教を必要とするのは、我々を強化するため、我々の神には忠誠を、悪魔に対しては敵対を、誓うがためである。」善だとか悪だとか、きわめて観念的な言葉が全編通して留保なしで振りまわされているが、その判断の正しさを何が担保するのであろうか。自分が宗教に向いていないのはいいとしても自分よりよっぽど賢くて立派な偉人達が無邪気に聖書の無謬性を信じられるのはなぜだろうか。気になる2020/02/26
ヘラジカ
6
ただ単に異教徒から改宗するだけが回心ではない。宗教家内村鑑三が如何に基督教と向かい合い、自身を無教会主義へと変貌させるに至ったか、その成長と内省を記録している。神を信じることの根本的な難しさ(単純にいるいないの問題ではなく)に対する苦悩が内村を「すべての正直な信仰はこれを許容し寛容する」ことへと繋げたのか。基督教に関して充分な知識を有さない私には難しすぎる書であった。加えて後半は異教徒的感情が理解を阻害してしまった。もし万が一改宗することにでもなったらまたじっくりと読み返したい。2012/11/11
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