出版社内容情報
ゴルゴタの丘で十字架にかけられたイエスをじっと見守る一人の男があった.その名はバラバ.死刑の宣告を受けながらイエス処刑の身代わりに釈放された極悪人.現代スウェーデン文学の巨匠ラーゲルクヴィスト(一八九一‐一九七四)は,人も神をも信じない魂の遍歴を通して,キリストによる救い,信仰と迷いの意味をつきとめようとする.
内容説明
ゴルゴタの丘で十字架にかけられたイエスをじっと見守る一人の男があった。その名はバラバ。死刑の宣告を受けながらイエス処刑の身代わりに釈放された極悪人。現代スウェーデン文学の巨匠ラーゲルクヴィストは、人も神をも信じない魂の遍歴を通して、キリストによる救い、信仰と迷いの意味をつきとめようとする。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
新地学@児童書病発動中
127
スウェーデン作家、ラーゲルクヴィストの代表作。訳者によるとこの作品がきっかけになって、彼はノーベル文学賞を受賞したそうだ。キリストの身代わりで罪を許された男バラバの遍歴が描かれている。神による救いはあるのかと言う重いテーマを扱っているが、文章自体は素朴で読みやすい。キリスト教の救いを描くと言うより、この世の救いのなさを書いていく小説で重たい内容だが、私は感情移入して読んだ。ここで描かれていることは、現代社会の救いのなさに通じるからだろう。結末が見事で、生きることの本当の意味を自分の胸に問いかけたくなる。2015/04/09
藤月はな(灯れ松明の火)
59
ゴルゴダで磔刑に処されるキリストより「マシ」と民衆に選ばれ、釈放されたバラバのその後。バラバは世界を呪詛した母に呪われた実父殺し。釈放されても神への教えに納得できず、死の恐怖に耐えられず、人を憎み、呪い、自分の行ったことを後悔せずに殺された相手を嘲笑するバラバ。それでも師、キリストを見捨てて悔恨による懺悔を聞いたにも正体を知って忌避するペテロやキリスト教信者である兎唇女を石打にする民衆よりは人間的に優れていると私は思わざるを得ません。『聖女ジャンヌと悪魔ジル』のように絶望や虚無と向き合った者だけが救われる2014/10/17
壱萬参仟縁
39
1950年初出。金持はもとのとおり自分の家で食べるのだが、貧乏人、ほんとうに空腹な者はみんな天使に食べさせてもらうことになる(39頁~)。裂けた山、犠牲になるために十字架につけられた神の子をのせて山の上に立っていた十字架の状景・・・救世主は苦しみかつ死なねばならなかったのだ(103頁)。磔の刑とか、兎唇(みつくち)女とか、想像しただけでぞっとするけれども。2015/11/13
chanvesa
38
完全な信仰ではないが、全く信じるに値しないと考えているわけではない。常に迷いがあるわけではないが、心の彷徨があり葛藤する。ラストの場面は、バラバの孤独にフォーカスされる。殉教者たちとは、多くの意味で過程が異なる生き方をしてきた、その後のバラバ。拠り所のない状態で最も恐れる死を迎えるにあたり、「おまえさんに委せるよ、おれの魂を。」という言葉が、解放の喜びと見る読み方も虚無的な絶望と見る読み方も両方成り立つのは、バラバにとって生きる苦しみが、生涯確信を妨げた悩みによってもたらされたからであったのだと思う。2016/11/03
松本直哉
31
死刑囚の牢獄の暗闇、ゴルゴタの丘を覆う闇、鉱山奴隷の地の底の闇、ローマの地下墓地の闇。バラバは常に闇の中にいる。イエスの代りに赦免されても彼は闇から解放されない。無辜なのに虐殺されたイエスの死の不条理と、たまたま生き残ってしまった自らの生の不条理。イエスの弟子たちに関心を寄せながらも、復活だの救済だのという教義にはついて行けない。イエスの死のおかげでなるほどバラバ自身は命を救われたが、もはや彼はこの世ではどこにも居場所のない異邦人。最後の行で、彼が身をまかせられるのは、暗闇でしかない。救いなんてない。2014/11/30