出版社内容情報
詩的な言葉の交錯の中に,夢と現実,予言と人知,愛と復讐のテーマを描く「人の世は夢」.農民,兵士,娘らがアンダルシアの村をゆきかいしゃべりあう「サラメアの村長」.カルデロン(1600‐1681)のふたつの戯曲はすべてに対照的でありながら,神への信仰,国王への忠誠,個人の尊厳という17世紀スペイン人の感情をともに伝えるスペイン古典文学の代表作.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
松本直哉
26
スペイン黄金時代のバロック劇を二つ。「この世の最大の不幸は生れてきたこと」という幽閉の王子の煩悶と、恋人に見捨てられた娘の怨恨の二つの筋が絡み合い、ありえない展開の末の無理矢理のハッピーエンドだが、それさえも夢ではないかと疑わせる「人の世は夢」。「サラメアの村長」は対照的にリアリズムを追求して、当然の権利のように村の娘を攫ってゆく兵隊たちに激しく怒り、将軍を前にしても一歩もたじろがずに正義を主張する村長の尊厳をかけた戦いを描く。度肝を抜くラストシーンは権力への批判をあらわにする。2020/02/06
壱萬参仟縁
14
戯曲。1635年、42年各初出。セヒスムンド王子曰く、「なまじ人間に生んでおきながら、その人間を取りあげて、人間あつかいされないと、恨みのひとつも言いたくなります」(55頁)。王子にしては、物わかりがよさそうだな。さらに、「富める者は煩いのみ多い富の夢を見、貧しき者は乏しく不如意をかこつ夢を見」る(82頁)。かこつとは、託つで、他のせいにする(広辞苑)。俺か(苦笑)。社会のせいにすることもある。富者と貧者が歩み寄る社会はあるのか? 2014/01/31
きりぱい
6
「人の世は夢」とは、残忍な王になるとの予言によって、生まれた時から囚われの身となって育った王子の達した境地である。良い人間に育っていれば王子に戻したい国王。でも予言通りだったら我が子だけに王子を味わわせてからまた牢屋に戻すのはしのびない。そこで取ったのがすべて夢と思わせる作戦。千一夜物語の麻薬を飲まされ一日だけ王の経験をさせられる話の趣向を借りたそうで。もてあそばれるかの王子は気の毒だけれど結果いい方に転ぶ収まり。「サラメア」は大胆な縛り首に驚き。両編ともなかなかに情緒表現はげしい戯曲。2017/02/10
tieckP(ティークP)
3
カルデロンの代表作が二篇。いまでは名古屋大学出版が精力的に出版しているスペイン黄金時代の戯曲であり、岩波からも幾つか出始めているが、それに先駆する貴重な翻訳の一つである。やや注が多すぎるので、巻末注なのが苦しいが、戯曲を訳すのは非常に難しいことのようで、その苦心が伝わってくる限り文句はつけがたい。カルデロンの戯曲の二つの長所は、筋の面白さと華やかな技巧に満ちた表現の数々だと思う。とくに後者についてはシェイクスピアをさえ凌ぐほど言葉が生命力をはらんでいるようだ。崇高さとユーモア、ともに一級品である。2014/08/18
takeakisky
1
まづは、ぱきぱきとしながらしなやかな、リズムの生きたいい日本語。人の世は夢。芝浜を大掛かりにしたような。王子セヒスムンドが、いつ、「よそう。夢になるといけねえ」なんて言うんぢゃあないかと。王子が、夢なのか現なのかと煩悶するなかでみせる諦めと意欲のせめぎ合いが見どころ。もう一篇のサラメアの村長は、父クレスポの面目と智慧。なかなか印象的な人物。ラマンチャの男風の郷士ドン・メンドと従者のヌーニョが味のある役どころ、と思いきやほったらかされたまま幕。400年近く前の戯曲だが、十分愉しめる。2023/12/05