出版社内容情報
粗野ではあるがたくましい生活力をもつホーリ,純粋で詩的な才能に恵まれたカリーヌィチ――この二人の農民を描いた「ホーリとカリーヌィチ」(一八四七)で一躍作家としての力を認められたツルゲーネフ(一八一八‐八三)は,美しいロシアの農村を背景に善良で思いやりのある農民の世界を次々に書き,一八五二年『猟人日記』と題して刊行した.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
syaori
50
下巻の始まりは5月のうららかな日。「なめらかな柳の若葉がさながら洗い上げられたように輝いている」から「一しょに出かけましょう」と誘われたら、もうロシアの森へ出かけて行くしかありません!「私」とともに、気持ちのよい女地主の屋敷の移ろいを見たり、太陽が照りつける日に界隈きっての歌い手の伸びやかな歌声を聞いたり、鼻持ちならない風情の侍僕と可憐な娘の別れの場面とその思い出の矢車菊を見たりできて、誘いに乗ったことを後悔しないのは請け合いです。『歌うたい』『生きているミイラ』『チェルトプハーノフの最後』がとても好き。2018/06/12
noémi
6
結構読むのが大変だった。すらっと内容が頭に入ってこなくて↓ ただ、ロシアの自然の情景描写は見事と言うほかはないし、百姓に対する作者の愛も強く感じられていいんだけど。それだけじゃ短編はしょうがないんだよね。もっとはっきりいっちゃうと「だからどうした?」みたいな話が多すぎる。後半の「生きているミイラ」「音がする!」等はモーパッサンを思わせる出来なんだけど「チェルトプハートフの最後」はなかなかフィーリングはいいのに、起承転結がなってないっていうか、オチがない。ハーディみたいなわけにはいかなかったのだった・・・。2012/11/27
彩菜
4
主人公が猟に行く先で出会う人々をスケッチ風に描いた短編集。スケッチ風と言ったのはエピソード毎の人やドラマを主人公はただ見つめるだけだから笑。でもその眼差しが素晴らしいんだ。猟人である彼が愛する自然を、例えば刻々と変わる空の色を親しみを込めた注意深さで見るように、出会う人々を共感を込めた注意深さで見つめていく。その眼差しで見る、馬と一夜を明かす少年達のなんて生き生き躍動すること、自分自身と運命に押し潰されて死んでしまう男のなんて哀れで悲しいこと。優しい共感が詩情となって見つめるもの全てに溢れ出すんだ。2018/09/09
刳森伸一
3
当たり前と言えば当たり前だが、作品の雰囲気は上巻と同じ。ただし、「死」、「歌うたい」、「チェルトプハートフの最後」、「生きているミイラ」など傑作が多い。2013/06/10
てれまこし
2
著者は観察者・報告者にとどまり、自分の考えはあまり披露しない。物語の外に立ち、事実だけを淡々と読者に伝える。まるで科学者のように。それでも、著者の同情がどこにあるかは明白だ。人と対立する自然にも美がある。人間性を歪める農奴制の中にも清い魂が息づいている。この案内によって、当たり前すぎて見るべきものがない周囲の自然や農村生活が奥行きをもつ。そこからのぞき込まれる世界は未知なんだけど、どこか懐かしいものでもある。幼い頃の記憶、そして人間としての共通感覚が既知と未知を媒介する。近代文学と柳田民俗学のつながり。2018/08/09
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