出版社内容情報
詩人ヴァレリー(一八七一‐一九四五)がレオナルドに仮託して,知性のありかたについて考究した論考三点を収める.事物それ自体よりも事物と事物との関係を見出すことこそが最高の知性の働きであり,この点で科学的精神と芸術的精神の働きは共通していると考える.彼の生涯にわたる思想的課題がここに明示されている.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kthyk
14
ポール・ヴァレリーは恋い多き詩人であり感性の人、また、事物と事物の関係を冷静に語る知性の人でもある。そんな前モダニズムの才人にここのところ、関心を寄せているのだが、彼は「科学と芸術の間に隔たりはあるのだろうか」と問い、「レオナルド・ダ・ヴィンチの方法」を書いている。 この本の一端に芸術としての建築の最大な難問題は定めなき景色の予見にあると書き、レオナルドのサン・ピエトロ寺院の図を彼自身の方法で解説している。しかし、その内容はブログにした。ー>2020/12/12
∃.狂茶党
12
詩人による、ダ・ヴィンチの分析。 伝記的なことははなから眼中になく、大胆に逸脱した思考が語られていく。 十九世紀に、大人になった人が、千九百三十年代に改めて過去の文章にメモをつける形式で、見慣れない字組がなされている。 変則二段組。文章の順序でちょっと悩む。 あまり見慣れない四字熟語が出てきたりするが、詩人による十九世紀の世紀末から二十世紀初頭の文章と考えると、これくらいの古めかしさは当然かもしれない。 訳者によるあとがきを読むと、ある程度意図的に古い言葉を用いたとのこと。2023/06/25
壱萬参仟縁
12
1894年初出など。 珍しくも、脚注ではなくて、天注。 「科学と芸術の異なる点は、特に、科学は、 確実な結果、または確率の極めて大なる 結果しか期待できないこと」(17頁)。 「深い教育というものは、初手の 教育を解してゆくことにある」(29頁)。 なぜか、天注に目が行く。 ヴィンチは、静的な史実ではなくて、 動的なものに関心を抱いていた(87-88頁)。 「知は自らの活動に限界を知らぬがゆえに、 しかもいかなる想念も意識の営みは汲み つくしえぬがゆえに、 知は、(略)あの危惧、あの違和感が予告し、 2014/04/07
ラウリスタ~
5
レオナルド・ダヴィンチに関することはほとんどなし。ヴァレリーの想像する完全人間に関する考察かな。レオナルドに仮託している。23歳のときの作品だそうでこのころからヴァレリー特有の読みにくさが存分に発揮されている。こんな23歳会いたくないな。本のなかならいいけども。後半になると50歳とかで書かれたものに、絵画、哲学論が展開される。そして最後の一言。「僕は何人もの人に一度きり読まれるよりはただの一人の人に何度も読んでもらいたい。」 はいちゃんと2度読みましたよ、ヴァレリーさん。2011/11/05
有沢翔治@文芸同人誌配布中
3
ポール・ヴァレリーは多くの批評家に紹介され、フランスの知性を代表する詩人。そんなヴァレリーがレオナルド・ダ・ヴィンチの知性について論じた3篇の評論を収めています。と言っても評伝ではなく、文献学のみに依拠している当時の知性に警鐘を鳴らしていると僕は解釈。2014/08/04