出版社内容情報
ソロー(一八一七―六二)は,ウォールデン湖畔の森の中に自らの手で小屋を建て,自給自足の生活を始めた.湖水と森の四季の佇まい,動植物の生態,読書と思索――自然と共に生きた著者の生活記録であると同時に「どう生きるべきか」という根本問題を探求した最も今日的・普遍的なアメリカ文学の古典.湖とその周辺の写真多数を収める新訳.
内容説明
一八五四年に刊行された本書は、自然とともに生きた著者の忠実な生活記録であると同時に、「どう生きるべきか」という人生の根本問題を探求した哲学の書ともいえよう。環境問題が深刻化した現代、最も普遍的・今日的なアメリカ文学の古典。
目次
湖
ベイカー農場
より高い法則
動物の隣人たち
暖房
先住者と冬の訪問者
冬の動物たち
冬の湖
春
1 ~ 2件/全2件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
のっち♬
122
音に耳を傾け、四季の移ろいに目を向け、農事に勤しむ質素な生活。正直で生真面目な性格そのままな飾らない文体は自然の感触を瑞々しく伝えており、的確な描写も本書の魅力。文明批判が落ち着いた下巻では生態学に幅広く精通した彼の俯瞰的な観察眼をより堪能できる。一方、春の訪れやむすびで顕著な修辞的技法も持ち味で、表現も一筋縄ではいかない。「汝の視力を内部へ向けよ」—自由に、簡素に、ありのままに。本書は「不自由な出費」で自ら首を絞める人々への「生きてみなくてはならない人生」の例示だ。あらゆる冬眠は春の目覚めを待っている。2021/12/27
やいっち
72
ソローは信念と反骨の作家である。一方吾輩は……。幣衣破帽は己が志の故であり、粗衣粗食を標榜したいが、貧乏暇無しの結果に過ぎず、ウォールデン池の傍で背水之陣の覚悟のもとに暮らしたいが、意気軒昂な日々も三日天下のうちに萎え果て、森の生活の日々の予想外の困難に打ちひしがれ、清流に身心を漱ぐ日々も薬石無効に終わり、斎戒沐浴も河や池でよりもスパでのほうが快適だと懐かしみ、夢幻泡影もただただ都の享楽の日々への愛惜の念に他ならず、漫言放語だ悲歌慷慨だ夜郎自大に過ぎない、あっという間に青息吐息の惨状を晒すに過ぎない。2019/11/26
翔亀
49
下巻を読みかけ一年間放置していた。読み続けなかったのは、私自身が"自然"に目覚め、自ら自然を"観る"ことに"忙しく"なり、自然学実用書に向かったからだ。でも無意識にソローの影響下にあったと思う。「荒野へ」のアレックスはソローを愛読していた。純粋に徹底的にソローを実践し餓死に至った。と書くとソローは過激思想家のように聞こえるが、クラカワーが言うようにアレックスは不運が重なっただけでかなりうまくやっていたのだ。今、ソローを読むと相変わらず真意がつかみにくいが、当たり前に自然に付き合っているように思える。↓2016/03/06
NAO
49
ソローのいかにも清教徒的なストイックな森での生活には、もちろんついていけないようなところもある。でも、口で唱えるだけでなくちゃんと実践してみせた彼の言葉は重く、私たちに「ちゃんと生きる」とはどういうことなのかを問いかけてくる。そして、彼の描く自然の美しさ。本当に自然を愛しその中で暮らすことを心から楽しむ人にしか言えない言葉。「地球は、書物のページのように何層にも堆積した、主として地質学や古物学者の手で研究されるべき単なる死んだ歴史の断片ではなく、花や果実に先駆ける木の葉と同じように生きている詩である」2015/11/06
Miyoshi Hirotaka
38
片田舎に住み、自然と人間生活を描いた。作者の関心は一時代、一地方に限定されるものではなく、文中の暦や固有名詞を読み替えると現代文学としても十分通じる。例えば、人類の進歩と肉食の放棄は不可避、衣食住は虚飾に塗れ、産業は節度を失ったと喝破する等。今でいう環境保護運動、健康志向の食生活、貧困と質素さを区別する考え方の起源が表現され、地球的、人類的。今よりずっと牧歌的だった18世紀の米国で自然との対話から人生の真理を体系化。自然が教え損ねたものがあるとすれば、それは生き損ねた人生といえる程、自然と一体化した作品。2024/10/07