内容説明
『荒地』を発表した後、1927年にエリオットはアングロ・カトリックに改宗し、次第に宗教色を前面に出し始めるようになった。それはモダニズムからの“後退”だったのか、それとも“円熟”だったのか。「空ろな人間たち」から『灰の水曜日』、そして『四つの四重奏』へと至る後期の詩作の歩みを、詳細な訳注とともにたどる。
目次
『詩集(一九〇九‐一九二五年)』より(空ろな人間たち)
『灰の水曜日』
『四つの四重奏』(バーント・ノートン;イースト・コウカー;ドライ・サルヴェイジズ;リトル・ギディング)
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本屋のカガヤの本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
絹恵
37
全て、待つことで解決したり獲得出来たりするのなら、モデラートの日々も自身の永遠さえも捧げることが出来るのだと思います。でも越えられない距離を、越えるのではなく埋めようとする姿勢にこそ、魂から訴えた思いの深さ/全てが宿っています。だから例え明日からは会えなくても、会えた時間は消えず、そんな消えない時間を携えて四季を巡り終わりという始まりを迎えに行きます。2014/12/07
34
18
カフカは自分が本を読むのはこころの底の氷塊を割る斧を求めてのことだといっている。粉々に打ち砕かれた。2019/03/13
マウリツィウス
16
エリオットの宇宙観は四大エレメントにより構成される。実際においてダンテ論を踏襲した四重奏はカトリックを原義通りに正統と解釈した詩才、新約聖書の提示した黙示録とはエゼキエル書とのリンクで初めて意味を成す。この編曲はまさに旧約時代を動物という偶像に執着する負の歴史と一蹴し新約聖書の後継たる立場を同時に提起する。ボルヘスらポストモダンが無神論に支配されるなか荒地の続編はキリスト教への合理的・検証的理論を尊重することで文学の使命を再認識、不完全の要因をこの場で埋めた。シェイクスピアは英国幻想神話へと追放される。2013/05/06
ラウリスタ~
6
エリオットの詩を読むことはどうやら難しいようだ。1時間半ほどで読めてしまうが、それを感じることはできていない。そもそも翻訳で詩を読むことなんて無理に決まっているという絶望感すら感じる。英語とフランス語ならなんとかなるけど、他の言語の詩を読むためにはどうすればいいのだろう。 ただ、無理やり感想をひねり出すなら、宗教に捕らわれずに宗教的求道の道を行く(少なくとも詩から感じるには)エリオットの、パスカルっぽさは気に入った。2011/06/11
hiro
5
エリオット最後の詩集「四つの四重奏」1943ははっきり言ってつまらない・・・初期の詩集「プルーフロックとその他の観察」1917から「荒地」1923は・・・20歳の時、その新鮮で奔放な詩的言語の連なりに触れ、何度も何度も読み、深い意味も分からないままに殆ど暗唱してしまったのだが・・・「四つの四重奏」は初期のジキル氏とハイド氏と思わせる踊る奔放な詩的言語・・・対・・・冷静、沈着、論理的な評論言語・・・の対立から、ジキル氏が学究的、論理家ハイド氏に限りなく近づいた結果、創造的飛躍が失われてしまったのではと・・・2019/03/08