出版社内容情報
「私はいま宇宙と同じ大きさになっているはずである」(埴谷雄高「闇のなかの黒い馬」)――回想と未来,混沌と静謐のあわいに閃き駆けた物語たち.シリーズ「昭和篇」最終巻,花田清輝・幸田文・島尾敏雄らの,昭和27年から45年に発表された13篇を収録.(解説・解題=紅野
内容説明
「私はいま宇宙と同じ大きさになっているはずである」(埴谷雄高「闇のなかの黒い馬」)。現在を突破する言葉の力、小説だけが語れた真実。昭和二七年から四四年に発表された、幸田文・島尾敏雄・三島由紀夫らの一三篇を収録。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
藤月はな(灯れ松明の火)
46
「小銃」は己が与えられた小銃イ62377を自分が関係を持ちたかった内地の女と見做し、愛撫し、慈しむ兵士。それに小銃は応えるかのようだった。だが、生身の女である中国人の女性(奇しくも彼は彼女に内地の女の面影を見出す)を銃殺しなければならなかった事から彼の小銃は忌まわしい売女へと変わる。そして戦況が変化してからの虐げていた中国人からも小銃からも復讐が為されるのだ。本来なら、応えないだろうと思い込んでいるモノへ仮託するイメージの身勝手さとそれ故の幻滅と乱雑な扱いの行く先を皮肉に描いている作品。2024/04/10
みつ
26
敗戦後日本への占領が終了して間もない1952年から三島由紀夫の自死直前の1969年までに発表された13篇を収録。昭和はこの後さらに20年近く続くが、このアンソロジーが昭和「中期」までとなっているのは、岩波文庫の編集方針によるものか。この時期には阿川弘之、安岡章太郎、遠藤周作、北杜夫や戦前からの作家である石川達三、さらには清張、司馬も旺盛な創作を展開していたので、選には苦労しただろう。未だ戦争に関する作品も散見するが、単なる回想ではなく時間の経過を作品に取り入れた山川方夫の『夏の葬列』が素晴らしい➡️2024/01/29
長谷川透
18
このシリーズ中で本書に収められた小説は最も新しく、1969年までに書かれたものが収められている。その取りを飾るのが三島由紀夫とは何とも感慨深く、三島の割腹自殺が日本の近代史の中でも一つの時代の終焉なのだとの認識を新たにした。敗戦後の生活の一片を切り取って書いた小説群の多くには戦争の影がどうして忍び込んでいるし、立ち返って戦時を回想した小説群も多い。空虚に浸るもの、あの時代の狂気を冷笑的に書いたもの、死んだ人を偲ぶもの。戦後復興の陰で、多くの人が抱え込んできた負の空想の集合体を、本書の中に垣間見た気がする。2012/12/23
モリータ
13
小島信夫「小銃」と島尾敏雄「出発は遂に訪れず」以外は初めて読むが、ほとんど覚えていなかったので全部読む(苦痛ではない)。中では幸田文「黒い裾」、富士正晴「帝国軍隊に於ける学習・序」がよかった。花田清輝の「群猿図」も面白かったしもっとこの作家は読みたいけど、小説家と言われると…。この巻で全6冊のシリーズは完結。戦後の短篇はこれと講談社文庫(日本文藝家協会編)の10巻をクロスさせて読めばカバーできるかな。新潮文庫の100年の名作シリーズがどういう立ち位置なのかはまだよくわからない。2016/05/16
塩崎ツトム
12
「虎は死して皮を残す」という諺があるが、戦時中の権力者が求めたのは、そんな皮だけを持つ張り子の兵隊や、国民たちだったのではないかと思う。軍隊としてや人間社会の体をなしていないが、案山子としては役立ち、テクスチャだけはよく、なにより飯は食わないし糞も垂れないし、眠いとかそういう欲求のない生ける屍としての国民。戦後文学とはそんな革袋にされた国民たちが、四肢に体液が満ち、血と肉と骨が詰まった糞袋として回復していく過程の、虚脱からの目覚めとして始まったんじゃなかろうか。(つづく)2022/12/28
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