内容説明
桜の森の満開の下は怖ろしい。妖しいばかりに美しい残酷な女は掻き消えて花びらとなり、冷たい虚空がはりつめているばかり―。女性とは何者か。肉体と魂。男と女。安吾にとってそれを問い続けることは自分を凝視することに他ならなかった。淫蕩、可憐、遊び、退屈、…。すべてはただ「悲しみ」へと収斂していく。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェルナーの日記
311
女が笑うと書いて”妖(あやかし)”と読む。本書の収録されている作品『桜の森の満開の下』は、まさしくそんな物語だと思う。桜の森に現れた美しくも残酷な女性は、一体何者なのだろうか―― 著者・坂口安吾の本を手に取ったのは、現在”桜”に関するテーマに関する作品を読むためである。本書は”女”に関する、しかも”性”に関連する作品が多いが、本質的には、著者自身の戦争体験を作品に昇華したものだと感じる。それにして安吾の作中に「然し―― 」という文章が数多く使われている。2019/04/03
ちなぽむ and ぽむの助 @ 休止中
158
寂しいねすぐそこにあるのに届きそうなのに。触れれば消えると知っていた。限りある生と言い聞かせ幾夜も明けたから、空襲が終わったらどう生きればよいかわからないのです。そこにあったはずの、愛。美しいものをもとめたけれどかしづくことを良しとはしなかったその為かうしなうものも多かった。愛はとっくに埋めました。破滅に向かって燃えることがしあわせでしたと泣いた涙は嘘、真実はどこにもない。とわらうそのほほえみも嘘。美しいまま散った。添いたかった。2020/03/23
masa
81
刹那の眩さは恐怖を想起させる。それが儚いほどに、美しいほどに。満開の桜などまさにその象徴で、処女性もそう。“好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならない”物語の中の女王たちが、あらゆる物のいのちに宿す聖と魔、乾いた嗜虐は無垢で、そこで流される血は桜の朱に似た透明感を感じさせる。きっと、真に怖ろしいのは貴女の笑顔。安吾には女の性への畏れがあったのかも知れない。畏れを葬るように繰り返し描かれる壮絶な性なる聖と勢なる静と凄なる生の幻想に帰る場所を見失った僕の想像力は、花びらの孤独を呆然と恍惚と眺めるのです。2018/12/05
ちくわ
70
森見登美彦さんの『新釈 走れメロス』でオマージュされており読む。感想…タイトルからロマンチックな恋愛モノを想像したが、作家が作家なだけにそんな期待は簡単に裏切られる(笑) 内容は白痴同様シュール&シニカルで、読み手の本能に訴えかけてくる。小林よしのりのゴーマニズム宣言にも似た『オレだけが真理に気付いてる!』感が溢れ出ていたような…。そう言えば、愛=執着だと偉いお坊さんが説いていた事をふと思い出した。世の中に得る満足があるのなら、逆に失う満足があっても不思議ではない。失恋も偶になら良い薬になる場合もあるし。2025/12/18
小梅
70
ごめんなさい全部読んでません。2018/01/07




