内容説明
「咳をしても一人」「入れものが無い両手で受ける」―放哉(1885‐1926)は、一見他愛のないような、しかし、一度知ると忘れ難い、印象深い自由律の秀句を遺した。旧制一高から東京帝大法科と将来を約束されたエリート街道を走った前半生、各地を転々とし小豆島で幕を閉じた孤独の後半生。彼の秀作の多くは晩年の僅か三年ほどの間に生まれた。
目次
自由律以前(明治三三年‐大正三年)
自由律以後(大正四年‐大正一五年)
句稿より(大正一四年‐一五年)
入庵雑記
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
新地学@児童書病発動中
123
俳句も詩の一つなので、言葉のリズムは大切にすべきだと思う。しかし、尾崎放哉は五七五の定型を突き抜けてしまった作品を多く残した。「ふところの焼芋のあたたかさである」といった句は、一見単純すぎて詩になっていない気がするのだが、ぶつぶつと何度かつぶやいてみると、何とも言えない温かさが胸の中に広がっていく。有名な「入れものが無い両手で受ける」の句には、透明で凛とした詩情が感じられる。尾崎放哉の作品の中には、尾崎放哉自身が座っていて、寂しそうでありながら、温かな横顔をいつも見せているのだと思う。2015/09/20
優希
96
俳句というと、五・七・五のリズムで言葉を紡ぐものですが、尾崎放哉は独自のリズムで多くの句を残したのが印象的でした。自由律俳句で突き抜けている中に詠まれた風景。「咳をしても一人」はあまりに有名ですが、その悲しみと哀しさを感じます。孤独を意識させられながらも、ユーモアが含まれている句も多くあり、寂しさの中にいながらもあたたかい目を注いでいたように思えてなりません。2016/07/04
なる
41
自由律俳句としてはあまりにも有名な、「咳をしても一人」で知られる尾崎放哉。たまたま手に取ったのだけれど、先日に読んだ吉村昭がこの人をテーマにした作品を書いているそうでそちらも気になる。高学歴、エリート社員、妻子のいる一見すると順風満帆な人生を突如として放り出して逐電し、寺男として細々とした生活をしながら俳句をひたすらつくっていた酒飲みの残した句集。近くにはいてほしくない人だけどこういう人ってやっぱり必要なんだろう。自由律すぎると崩れるし、定型から自由律へと移行する間際の俳句が結構すきかもしれない。2021/07/24
Emperor
30
“咳をしても一人”。やっぱり自由律俳句は、その名の通りどこまでも自由で開放的だから好き。適度に心地よい無秩序。寒い日の朝の1シーンを切り取ったような、なんでもないつぶやきみたいな句が、ずっと印象に残っていて忘れられない。2016/11/29
ベル@bell-zou
26
数年前から少しずつ拾い読みしていたけれど、吉村昭「海も暮れきる」読了を機に登録。今回は解説を読む。尾崎放哉の句においては、作り手である放哉と直し手である師の荻原井泉水ふたりの存在がある、と知った。わが国の短詩型の作法で、師が弟子の作を添削しても問題はなくオリジナル性は失われない、と。なるほど。1996年井泉水の死後に発見された放哉の投句原稿。亡くなる前年から九か月間、一ヶ月に200句を送付…尋常ではない数だ。そして井泉水の添削も冴え放哉の元の句と掲載句の違いもおもしろい。まさに"二人三脚"だったのだ。2024/08/15