出版社内容情報
漱石が批評を求めて子規に送った俳句と子規の添削を含め,子規が亡くなるまで13年間に交わされた手紙を収録.丁々発止の面白さが伝わってくる手紙から,厚い友情を感じさせる手紙まで,希有の交友の記録.(解説=粟津則雄)
内容説明
夏目漱石と正岡子規は、明治22年、高等中学校の同級生として出会い、寄席の趣味をとおして親しくなった。その友情は、子規が明治35年、三十五歳で亡くなるまで終生変わることなく続いた。十三年間に交わされた希有の交友の記録。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Gotoran
44
夏目漱石と正岡子規、出会ってから13年に亘って交わされた往復書簡集。出会いまでの漱石と子規についての説明で始まり、明治22年から、一年毎に、子規が亡くなった明治35年まで。病気を気遣ったり英文を載せたり俳句を載せたり、真剣な文学談義から洒脱な笑いまで、時に熱く語り、また批判しながらも、親友であり続けたお二方であったことが垣間見られた。巻末の粟津則雄氏の解説で、二人の交友関係が深まってゆく過程をわかり易く詳細に述べられていた、実に有益であった。子規晩年の書簡が興味深く、その著作をも読んでみたくなった。2023/02/20
ころこ
28
本書は漱石デビュー前の交友で、作家を批評する時の方法論、作家論とテクスト論の別でいうと、作家論として読まれることになる。公開前提で書かれていない以上、明治○年○月○日にどんな手紙を書いたか、そこにどんな俳句が記されていたか崇め奉る気にはならない。俳句も漱石作ということが分からないと、他の無名の俳句との良し悪しはつかないはずだ。しかし、写生文を書くことになる漱石に対する子規の議論と読む可能性は残されている。写生が軽視されている現代文学において、かえって写生の意味が問い直されている文脈の起源に、二人はいる。2020/03/28
マーブル
14
漱石が子規に対して、その意見に激しく怒りを込めて自論を展開している手紙がある。子規が不用意に発した意見に、漱石が反応している。それに対する子規の態度には甘えが感じられる。解説で語られる二人の性格の違いが、なるほどと思わせる。世の中の物事に「理屈」をつけたい漱石。「レトリック」で世界を現わしたい子規。その生い立ちから、自らの立っている処に常に不安を抱き、「理屈」でそれを固め、安定させておきたい漱石と、父を早く亡くしながらも母の愛に包まれて「理屈抜き」に肯定感を与えてもらっていた子規。2023/06/02
tom
14
漱石と子規の往復書簡集。漱石のイギリス出発から帰国までの間の書簡のみ読了(他の部分は、たいして面白くない)。漱石さん、イギリスに行くまでは、なにやら堅苦しい雰囲気の文章ばかり書いていたのに、イギリスに着いてからは、なかなか楽しく身の回りのことを書き送る。病床に縛り付けられた子規のことを気遣ってのことなのかもしれないけれど、漱石さんにはもともと諧謔を楽しむところもあったはず。そして、こういう文章が帰国後の坊ちゃん、猫につながったのかと私なりに納得。2018/08/30
壱萬参仟縁
11
漱石氏は「10倍のhappinessをすてて10分の1のhappinessを貪り、それにて事足り給ふと思ひ給ふや」(1890年12月31日、30頁)としている。幸福研究が盛んだが、漱石氏も指摘しているとは知らなかった。紙幣の肖像画が馴染の顔だが、若かりき25歳の漱石氏は112頁にいる。口髭のない青年だな(笑)。逆に新鮮。だが2年後には見合い用写真に口髭生やしている! 変わり身の速さ!! かなりの句が披露、評価されている。293頁の同級生の子規は河上肇に見えた。35歳で子規はなくなってしまうが、友情は永遠。2013/04/21