出版社内容情報
芭蕉・蕪村・一茶・子規など元禄から明治まで四十六人の俳人の句およそ二百句をとりあげ,俳句とはどういうものか,どう味わったらよいかを説く.ずばりと句の核心を言いあてる評解,自在な語り口は見事という他はないが,その背後には「俳句は即ち芭蕉の文学」だとする虚子(一八七四―一九五九)の確信があった. (解説 大岡 信)
内容説明
芭蕉・蕪村・一茶・子規など元禄から明治まで29人の俳人の句およそ200句をとりあげ、俳句とはどういうものか、どう味わったらよいかを説く。ずばりと句の核心を言いあてる評解、自在な語り口は見事という他はないが、その背後には「俳句は即ち芭蕉の文学」だとする虚子(1874‐1959)の確信があった。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
まふ
106
十数年前、ホトトギス系の某結社に入門したときに読んで以来の何度目かの通読。虚子が「俳諧は即ち芭蕉の文学」とし、蕪村を第一とする子規を斥け、碧梧桐の自由律を排斥して我が国の俳句を「客観写生」「花鳥諷詠」世界に閉じ込め、俳句を「高浜家の芸事(?)」にしてしまった時の「指導書」の一つという性格を持つ。内容は元禄(芭蕉)、天明(蕪村)、一茶の時代を中心に数十句を取り上げて「写生句」のすばらしさを称揚している。⇒2024/09/01
金吾
32
俳句を知らない私が読んでも内容が理解できるくらいわかりやすく解説しています。俳句のイメージがわくとともに有名な俳人の特性もおぼろげながらわかりました。2023/03/16
双海(ふたみ)
32
「俳句は即ち芭蕉の文学である」虚子は断言する。これは重要な指摘である。何故ならば、これは「新傾向」俳句を端的に否定したものであり、また芭蕉よりも蕪村に肩入れをした正岡子規に対する異議申し立てであったからだ。「私を『旧派』と呼ぶ者があります。私は新派に見残された旧派で無くて、自ら俳句の為めに旧を守らんとする『旧守派』であります」(大正2年)2015/08/13
藤森かつき(Katsuki Fujimori)
31
高浜虚子の誕生日に。俳句を解釈する力を養うことが本書の目的とのこと。こんな風に解してもらえれば、難解だと感じる俳句も味わうことができる。が、読んだからと言って、自力で解釈できるようになる気はしない。解し方が凄すぎる。二通りにも三通りにも意味が取れるというようなことを言うと、俳句は不安定なものだと考えられがちだが、決してそういうのばかりが俳句ではなく、何の疑議も挿む余地のない印象明瞭な句もあるという。俳句は芭蕉の文学である、と、何度も念を押しているのが印象的。虚子自身の句は取り上げていないが解説に少しある。2020/02/22
モトラッド
29
★★★☆著名な俳人=高浜虚子が、芭蕉、蕪村、一茶、子規など、錚々たる俳人の名句に対し、ズバリと確信を突く論評を、自在な語り口で述べている。いつかは自分も、このような句を詠んでみたいと思わせる、自在な発想からの評解が見事。更に解説を読み、当時の俳句界において、重要な役割を演じた虚子の存在の重みを知る。2022/09/23