出版社内容情報
「妄想」は一老翁の述懐の形をもって書かれた哲学的随想であるが,作者自身の思想,人生観,世界観に深い関係をもっている.発表は明治44年50歳の時にあたり,この透徹した内面描写の書は当時文壇の異色と目された.併収する「蛇」「心中」「百物語」ともに同時期のもので,円熟期の作者の人生観相の断面を示している.解説=斎藤茂吉
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Willie the Wildcat
63
自我の『妄想』。”無”を問い続ける。科学に辿り着くのは、比喩であり皮肉という感。マインレンデルか、なるほどね。『蛇』でも、『妄想』同様に無政府主義に掛けて問う時代の変化。家族、男女の著者の思想を垣間見るも、”青大将”は仏壇(家)とトグロから、それぞれ「味方」と「感情の拘束」と荒っぽい解釈。『心中』と『百物語』は、共に時勢を怪談的に語る創作。主眼は家族・男女観ではなかろうかと推察。なお巻末解説は、斎藤茂吉氏。論説のみならず、芥川龍之介の遺書の逸話や鴎外書盛衰を憂う姿勢が印象的。2019/02/05
こうすけ
17
どうしても鴎外先生が読みたくなり、古本屋で見つけて購入。文章のキレがすさまじい。『妄想』は、老人が、海辺の小屋にわびしく暮らしながら、ひたすら哲学や自然科学の書物を読み、思索にふける話。楽しみは読書と、植物や微生物を顕微鏡で覗くことだけ。そんな暮らし、あこがれる。ほかの作品も面白かったが、特に良かったのは『心中』。ちょっとホラーテイストで、出だしの一文から引き込まれる。こういう話も書くのか。全体的に、外来語の難易度が高くて、注釈がなければ全然わからない。が、古書で読むと雰囲気があって良い。2023/04/07
藤月はな(灯れ松明の火)
16
「なぜ怪談は百年ごとに流行るのか」の怪談年表で森鴎外の短編が多く、紹介されていたために読みました。この短編は理路整然としてるが故に得体のしれないものが残り、薄ら寒いと思うような物ばかりです。多分、森鴎外の作品は物語的に書いていても自分の視点を廃し、客観的に物事を見ているような視点があるからこそより不思議で不気味だと感じられるのでしょう。自分の視点があれば感じたことに否定はしやすいのにそれが通じない。ノンフィクションにも関わらず、物語的な「冷血」とは真逆の存在だと思います。2011/11/01
shinano
14
なるほど、深い小説群です。森鴎外ファンにはたまらないかもしれない。小説形態も随筆的要素を加味している。主人公(著者)の目線や思考、経験読書からの哲学的問診カルテが看れる(妄想)。森鴎外からの目線が。それを小説的にするための客観を織り混ぜている。読む側に、小説的(内容的)主観と著者が介在する客観を見分けるのをためされているようだ(百物語)。はっきり云うと、今日のだれもが読んで、良かった!と言わないだろうなあ。若いひとには、これっ小説?と思われるかな。 だからこそ、さすが森鴎外。芥川にこれは影響あたえてる。2019/03/30
S.Mori
13
森鴎外の中期以降の作品を4編収録した短篇集。表題作の「妄想」が一番の好みでした。主人公の独白を通して、鴎外の物の考え方の移り変わりを知ることができます。最初は哲学に傾倒したそうですが満足することができず、結末で科学に対する期待が述べられます。ここに書かれているように、哲学では病気で苦しんでいる人をすぐに救うことはできません。医学だったらそれが可能な場合があります。単純に医学の方が哲学より良いと言うことはできません。それでも職業人として生を全うしたこの作家の哲学は地に足がついたものであったことが分かります。2019/10/15