出版社内容情報
愛されずに育った少女イザベルは、生きるための苦闘を続けるうちに、自らの言葉の才能を見出していく。
内容説明
イザベルは姉とちがって誕生日プレゼントをもらえない。母親からいつも「うそつき」だと言われ、成長しても自分が正しく振舞っているのかわからない。だが読書を心のよすがに自活をはじめ、生きるための苦闘を続けるうちに、自らの言葉の才能を見出していく。
著者等紹介
ウィッティング,エイミー[ウィッティング,エイミー] [Witting,Amy]
1918‐2001。作家。シドニー郊外で育ち、教職のかたわら作品を執筆する。47歳のときに“ザ・ニューヨーカー”に短篇小説が掲載され、デビュー。高い評価を受けながらも、創作に専念するのは60歳で退職したあと。『わたしはイザベル』は一度出版を断られたが、1989年にペンギンブックス社から刊行されると、たちまちベストセラーになった。2000年にはメルボルンの新聞“ザ・エイジ”紙の文学賞を受賞
井上里[イノウエサト]
宮崎県生まれ。翻訳家。ノンフィクションから古典、児童書まで幅広い分野の作品を手がける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
星落秋風五丈原
42
編集者が「実の子供にこれほどつらく当たる母親がいるはずがない」と一度は刊行を取りやめたいわくつき。確かに親は、とりわけ母親は子供に優しいもので、それが当然と思われている。しかし著者自身も小説のヒロイン、イザベル・キャラハンと同じに、実の両親から毎年「今度の誕生日は、プレゼントはありませんよ!」と言われたそうだ。‘当然’はありえない。たとえ家族の間でも。せめて嫌う‘理由’があれば良かった。ところが母親は一切理由を言わず、時と場合を選ばず悪意をぶつけてくる。萩尾望都の漫画『イグアナの娘』のようだ。2017/05/21
テツ
28
機能不全の家族。自らを否定しかしなかった母親。傷つけられ愛されなかった幼少期を過ごした少女イザベルは成長しても自らが愛されているということを信じられない。母親が亡くなり全てから解放されたかのように見えても呪縛は長い間イザベルを苦しめる。自分の心の奥深くに刺さった棘は自分で抜くしかない。自分のせいでついた傷でないのにその傷は自分で癒さなければならない。僕自身もわりと壊れた家庭で生まれ育ったので他人事じゃなかった。叶わぬ願いなのは百も承知だけれど全てのこどもが愛される世界になれば良いなと心から思う。2017/03/01
タカラ~ム
24
『毒親』という言葉がある。子どもに厳しかったり過干渉だったり、逆に自分を優先して子どもに無関心だったりする親のことだ。本書の主人公イザベルの母親は毒親である。母親は自らのコンプレックスや嫉妬から娘たちに厳しく接する。イザベルの唯一の逃げ場は読書だった。やがてそれが、彼女を毒親の軛から逃れさせ、自分の存在価値を取り戻す糧となる。親に愛されて育つことが子どもの幸せであるのは当たり前だが、毒親にあたってしまう子どももいる。本を読むこと、言葉を紡ぐことが、ささやかな癒やしになることを感じさせられた。2019/07/14
kolion
16
情緒不安定な母親からの言葉の暴力を受け何を話しても嘘をついたと全否定され続けてきたイザベル。母親が亡くなってからも心は誰かに認められたいと求め続ける。支配された心からの解放。それは長くて苦しい道のりだが、アグレッシブに自分を見つめ、生きようとするイザベルが魅力的だった。カフェで文学部の学生から自分を品詞に例えると何かと問われて前置詞と答えるところが面白い。幼い頃、言葉は脅威だった。いまイザベルは言葉の工場を味方につけたのだ。書くことが自分の生きる世界になる。イザベルの歩いてきた道のりがこの物語だと思う。2018/03/24
鳩羽
14
誕生日のプレゼントを、姉は貰えるのにイザベルは貰えない。貧しさを理由とする情緒不安定な母親への生贄のように、理不尽なことで叱られるイザベル。本や空想の世界へ没頭すれば、本当の嘘の違いが曖昧に感じられ、自分が欠陥のある人間のように思えてくるのだった。…今でこそ、親だからといって正しい訳でも、必ず愛してくれる訳でもないことが知れ渡っているが、当時にしたら衝撃的な内容だっただろう。そのイザベルの少女から娘時代が飛び飛びに語られる小説で、赦しとやり直しを求めるイザベルの姿に静かに心打たれる。2017/01/08