出版社内容情報
なぜ平和友好条約交渉のさなかに尖閣諸島周辺に中国漁船団が集結したのか。鄧小平来日で天皇とどのような会話が交わされたのか。中国課長だった交渉当事者が40年後に交渉の現場を克明に証言し、研究者が検証する。
内容説明
1978年8月に締結された日中平和友好条約は、交渉妥結までに4年の歳月を要した。紛糾した原因は「覇権条項」と尖閣諸島問題であった。中国はなぜ反ソ条約であることを明示する「覇権条項」にこだわったのか。日本はいかにして覇権問題に巻き込まれることを回避しようとしたのか。交渉のさなかに尖閣諸島周辺に中国漁船団が集結した背景に何があったのか。問題を起こさないとの〓小平の発言は何を意味するのか。78年10月、〓小平は、条約の批准書交換のために来日した。日中条約をめぐって天皇とどのような会話を交わしたのか。外務省中国課長だった交渉当事者が、当時のメモ、私信、外交文書を踏まえて、交渉締結40年後に克明に証言する交渉の現場。
目次
第1章 福田赳夫内閣の成立
第2章 福田内閣改造と交渉再開の打診
第3章 尖閣事件の発生と収束
第4章 条約交渉の再開
第5章 園田外務大臣訪中と交渉妥結調印
第6章 〓小平副総理夫妻来日と批准書交換式
第7章 天皇皇后両陛下の御引見および午餐
第8章 福田・〓小平会談と諸行事の概要
第9章 条約締結および〓小平来日の意義
第10章 日中平和友好条約の長期的意義と戦略的互恵関係
座談会 日中平和友好条約締結から四〇年―交渉過程の回顧と検証
著者等紹介
田島高志[タジマタカシ]
1935年生まれ。群馬県出身。1959年東京大学教養学部(国際関係論分科)卒業、外務省入省。外務本省、台湾、英国、香港、ニューヨーク、中国に在勤後、1975年外務省アジア局南西アジア課長、1976年同アジア局中国課長、1979年駐英大使館参事官兼国際戦略研究所(IISS)研究員、1980年駐オーストラリア大使館公使、1983年国際協力事業団(JICA)総務部長、1986年外務省大臣官房文化交流部長、1989年駐ブルガリア特命全権大使、1993年駐ミャンマー特命全権大使、1995年駐カナダ特命全権大使兼国際民間航空機関(ICAO)日本政府代表部大使、1998‐2004年国際機関アジア生産性機構(APO)事務総長、2005‐2010年東洋英和女学院大学大学院客員教授、2007‐2010年国際教養大学客員教授
高原明生[タカハラアキオ]
東京大学法学部教授、東京大学公共政策大学院長。東京大学法学部卒業、開発問題研究所博士課程修了、サセックス大学博士
井上正也[イノウエマサヤ]
成蹊大学法学部教授。神戸大学法学部卒業、同大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(政治学)。著書に『日中国交正常化の政治史』(名古屋大学出版会、2010年(平成22年度吉田茂賞、第33回サントリー学芸賞))(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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