外交証言録 日中平和友好条約交渉と〓小平来日

個数:

外交証言録 日中平和友好条約交渉と〓小平来日

  • ウェブストアに1冊在庫がございます。(2025年07月24日 10時00分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●3Dセキュア導入とクレジットカードによるお支払いについて
    ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ A5判/ページ数 224p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784000612838
  • NDC分類 319.102
  • Cコード C0031

出版社内容情報

なぜ平和友好条約交渉のさなかに尖閣諸島周辺に中国漁船団が集結したのか。鄧小平来日で天皇とどのような会話が交わされたのか。中国課長だった交渉当事者が40年後に交渉の現場を克明に証言し、研究者が検証する。

内容説明

1978年8月に締結された日中平和友好条約は、交渉妥結までに4年の歳月を要した。紛糾した原因は「覇権条項」と尖閣諸島問題であった。中国はなぜ反ソ条約であることを明示する「覇権条項」にこだわったのか。日本はいかにして覇権問題に巻き込まれることを回避しようとしたのか。交渉のさなかに尖閣諸島周辺に中国漁船団が集結した背景に何があったのか。問題を起こさないとの〓小平の発言は何を意味するのか。78年10月、〓小平は、条約の批准書交換のために来日した。日中条約をめぐって天皇とどのような会話を交わしたのか。外務省中国課長だった交渉当事者が、当時のメモ、私信、外交文書を踏まえて、交渉締結40年後に克明に証言する交渉の現場。

目次

第1章 福田赳夫内閣の成立
第2章 福田内閣改造と交渉再開の打診
第3章 尖閣事件の発生と収束
第4章 条約交渉の再開
第5章 園田外務大臣訪中と交渉妥結調印
第6章 〓小平副総理夫妻来日と批准書交換式
第7章 天皇皇后両陛下の御引見および午餐
第8章 福田・〓小平会談と諸行事の概要
第9章 条約締結および〓小平来日の意義
第10章 日中平和友好条約の長期的意義と戦略的互恵関係
座談会 日中平和友好条約締結から四〇年―交渉過程の回顧と検証

著者等紹介

田島高志[タジマタカシ]
1935年生まれ。群馬県出身。1959年東京大学教養学部(国際関係論分科)卒業、外務省入省。外務本省、台湾、英国、香港、ニューヨーク、中国に在勤後、1975年外務省アジア局南西アジア課長、1976年同アジア局中国課長、1979年駐英大使館参事官兼国際戦略研究所(IISS)研究員、1980年駐オーストラリア大使館公使、1983年国際協力事業団(JICA)総務部長、1986年外務省大臣官房文化交流部長、1989年駐ブルガリア特命全権大使、1993年駐ミャンマー特命全権大使、1995年駐カナダ特命全権大使兼国際民間航空機関(ICAO)日本政府代表部大使、1998‐2004年国際機関アジア生産性機構(APO)事務総長、2005‐2010年東洋英和女学院大学大学院客員教授、2007‐2010年国際教養大学客員教授

高原明生[タカハラアキオ]
東京大学法学部教授、東京大学公共政策大学院長。東京大学法学部卒業、開発問題研究所博士課程修了、サセックス大学博士

井上正也[イノウエマサヤ]
成蹊大学法学部教授。神戸大学法学部卒業、同大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(政治学)。著書に『日中国交正常化の政治史』(名古屋大学出版会、2010年(平成22年度吉田茂賞、第33回サントリー学芸賞))(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

この商品が入っている本棚

1 ~ 1件/全1件

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

まーくん

36
日中平和友好条約交渉に携わった当時の外務省中国課長の証言録。’72年、国交正常化はなったが平和条約交渉はその後の政治混乱の中で膠着。’76年、文革を終息させた中国は福田政権との間で交渉を再開。中ソ対立を反映し「覇権条項」を巡り交渉は難渋するも合意に。’78年10月、鄧小平副主席が批准書交換のため来日。新日鉄君津などを見学し経済協力の道筋をつける。両国関係は最良の時代に。あれから40年、隔世の感あり。尖閣については鄧小平は「棚上げ」とは言わず「放」つまり、放って置くと言ったらしい。10年でも、100年でも。2018/12/05

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/13066918
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。

最近チェックした商品