出版社内容情報
ミュージシャン、作詞家、精神科医として活躍する著者の決定版・自伝!自らの人生と「心」の軌跡を振り返る。
内容説明
伝説の音楽グループ、フォーク・クルセダーズで活躍し、また作詞家として数々のヒット曲を手がけながらも、その後、マスコミの第一線から退き、精神科医となった著者の自伝。父親との葛藤、マスコミ体験の苦悩、親友との別れ…。波乱に満ちた人生と「心」の軌跡を振り返りながら、しぶとく生き続けるヒントを探る。
目次
はじめに―北山修による、きたやまおさむの「心」の分析
第1章 戦争が終わって、僕らが生まれた
第2章 「オラは死んじまっただ」の思春期
第3章 愛こそはすべてか?
第4章 天国から追い出されて
第5章 「私」とは誰なのか?―精神分析学との出会い
第6章 「心」をみつめて―精神科医、研究者、そして時々音楽家
第7章 潔く去っていかない
おわりに―コブのない駱駝のごとく
著者等紹介
きたやまおさむ[キタヤマオサム]
1946年淡路島生まれ。精神科医、臨床心理士、作詞家。九州大学大学院教授を経て、現在白鴎大学副学長。1965年、京都府立医科大学在学中にフォーク・クルセダーズ結成に参加し、67年「帰って来たヨッパライ」でデビュー。68年解散後は作詞家として活動。71年「戦争を知らない子供たち」で日本レコード大賞作詞賞を受賞。その後、精神科医となり、現在も臨床活動を主な仕事とする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
KAZOO
141
ご存知のある方は少ないと思いますが、昔かなり有名であったフォーク・クルセダーズのメインメンバーの一人です。その北山修の自分の人生を振り返りながらの世相に対する自分の感じたことを書かれています。私も彼とは生年月日が数日しか違わなく昔からのファンであり、彼の生き方をうらやましく思っていたものでした。京都府立医科大学と千葉大学の医学部に合格した彼が、なぜ京都に残り更に精神科の教授、あるいは医者になっているということがこの本でよくわかります。友人(加藤和彦や映画監督など)たちが自死してしまった状況などについても。2016/12/21
chimako
94
精神科医北山修が「きたやまおさむ」を書いた自叙伝。なのだが心理分析が細かく、まるで心理学の本を読んでいるようだった。フォーク・クルセダーズは小学生のとき一時毎日のようにテレビに出ていた。「おらは死んじまっただ~」と言うとんでもない歌詞と加工された声。突然の解散と医学生というギャップ。大人になって聴いた「イムジン川」加藤和彦の死。精神科医としての後悔。自分でいられる「楽屋」を用意し「あれもこれも」ではなく「あれとか、これとか」逃げ道を作る。自分ちとって読書は空しさを埋める絶好のアイテムになっていると思う。2017/10/15
KEI
48
読友さんのレビューで知った本。昔々、大好きだったフォークルの北山修さんが精神科医として、自分の半生を分析しながら、多くの悩みを抱えた現代人に対して、言葉を尽くして「生きる意味」を訴えている様に感じた。「あれか、これか」と2つの中から決めるのではなく、「あれとか、これとか」と併せ持つ余裕(遊び)が必要なのだと。「帰って来たヨッパライ」「イムジン河」などフォークルの制作秘話、当時の著者の葛藤も知ることが出来た。帚木蓬生氏の「ネガティブ・ケイパブリティ」にも通じる本だった。2020/01/22
ばんだねいっぺい
35
部屋に残された1枚のフォーククルセダーズの写真。音楽のための人生か、人生のための音楽か。少しだけ触れた西岡恭蔵。「あれもこれも」から「あれとこれと」。空虚との向き合い方。2019/06/09
それいゆ
34
「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしたのは高校生のときでした。続く「イムジン河」の発売中止、その直後「悲しくてやりきれない」をあっというまに制作したことも今になっても私の記憶の中にはっきりと残っています。それほど、フォーク・クルセダーズの存在は衝撃でした。医学生だった北山修のその後は知らないままに今に至りましたが、精神分析医になっていたとは!加藤和彦を始め、恋愛妄想を抱いた女子学生など彼の周りに自死する人たちが何人もいるのがとても気にかかりました。精神科医を選んだ理由につながるのかな?という気がしました。2020/11/20