内容説明
一九六〇年代末に文学批評家としてデビューした著者の今日にいたるまでの全文学評論から、著者自身が精選改稿した一二篇を収録。冒頭には各作品を解説する序文をあらたに付す。『アレクサンドリア・カルテット』を論じた六七年の修士論文から、漱石『文学論』について語った二〇〇五年の講演まで、著者の文学的営為の全体像が一望のもとに。ダレル、シェークスピア、鴎外、漱石、四迷、安吾、、泰淳、島尾敏雄、中上健次らのテクスト読解を通していくつもの「可能性の中心」が導き出される。思想家柄谷行人の原点を知るための決定版。
目次
1(『アレクサンドリア・カルテット』の弁証法;漱石試論―意識と自然;意味という病―マクベス論;歴史と自然―森鴎外論;坂口安吾『日本文化私観』について;歴史について―武田泰淳)
2(漱石の多様性;坂口安吾その可能性の中心;夢の世界―島尾敏雄;中上健次とフォークナー;翻訳者の四迷;文学の衰滅)
著者等紹介
柄谷行人[カラタニコウジン]
1941年生まれ。思想家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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さえきかずひこ
13
たいへん充実した優れた文学論を集めている一冊。なかでも、存在論的不安をキーワードに小説諸作を分析する『漱石試論』が最も優れており、読みごたえがある。他の論考では著者が坂口安吾を高く評価していることが印象に残る。本書に集められた一連の文学論を通して、柄谷は自然(nature)とは何かという問いに一貫して惹きつけられているので、著作が哲学をめぐるものにシフトする予兆を感じとれた。若い頃『日本近代文学の起源』を途中で放り出してから読んでいなかったので、柄谷行人がここまで深く文学を愛していたことを知れて良かった。2018/05/22
とんこつ
8
ここに収められた評論を貫くキーワードは「自然」だ。柄谷行人にとって自然とは、大自然などを表すそれではなく、いわば人間の根底に横たわる矛盾に満ちた混沌とした意識だ。漱石にとってそれは「存在論的不安」であり、安吾にとっては「ふるさと」であり、鴎外にとっては「ありの儘」だった。作品を優れたものにたらしめるのは、その自然を作家がどれだけ捉えられたかによる。自然を切り口に数多の作品にメスをいれていく様は鋭く、鮮やかだった。また一つひとつの言葉の持つ揺らぎを的確に整理し浮かび上がらせていく手腕には終始感心させられた。2016/07/06
ピラックマ
8
この人の真髄はやっぱり文藝批評なんだろうなぁ。社会思想系の著書と違って感動があるしキレや視点がハンパナイ。前にどこかで読んだものが殆どだが安吾論とかやっぱり凄い。毎夜寝る前にチビチビ読んでじっくりひと月堪能しました。2016/02/29
esehara shigeo
4
柄谷行人は思想家と思われがちだが、いわばこの批評的読解をあらゆるところで使い廻しており、要は根っこのところは「文学批評」の人なんだなと思う。それは、彼自身が「自然(あるいは、物自体)」という、人間を束縛し自由になれない非合理なものと、人間が作り出した「当然」との関係、そしてそれが意志とどう関係するのかということをひたすら考えているようにも見える。そして、この図式そのものが、実は彼のマルクス読解にも潜んでいることに気が付く。そして、非合理なものを図式化しようとする姿は、良い意味で「オカルト」なのである。2019/07/25
原玉幸子
3
夏目漱石、森鷗外、坂口安吾、武田泰淳らの作品を読んで感じる漠とした思いに就き、哲学用語「シニフィエ」や仏教用語「観照」等、そのものズバリの表現は使わずに、その文学作品が何を語っているのかを解説・言語化してくれる、其々の作家の評伝の様な文学論に感服です。私は、時代や文化が創り出す小説と、作家個人によるそれがあると思っていて、前者は、近代自我や戦争や左翼闘争等の時代の大きな変化点、逆に後者は、時代がそこまで変化のない作家の個性が平坦というか均質化している時に生み出される、と思っています。(◎2020年・春)2020/05/01