教育は何をなすべきか―能力・職業・市民

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  • サイズ B6判/ページ数 368p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784000610377
  • NDC分類 370.4
  • Cコード C0037

内容説明

雇用の空洞化や民主主義の機能不全がとどまるところを知らない現代日本において、公教育は未来の社会に向けて何をしていけばよいのか。本書は、教育の中の能力観の問題、職業を手に入れるための教育という考え方、そして、市民形成の役割をめぐり、教育を改革する方向を多面的に論じる。『教育には何ができないか』から十年余。理論と実証、歴史と現在を往還しながら展開される、著者渾身の問題提起。

目次

教育は何をなすべきか―公教育の役割を再考する
第1部 能力・職業・市民(社会変動と「教育における自由」;能力にもとづく選抜のあいまいさと恣意性―メリトクラシーは到来していない;生まれつきの能力差に応じた教育?―教育の早期分化論の問題点;職業教育主義を超えて―学校の役割を再考する;子どもたちに市民になってもらうための教育―政治的教養の冷凍解除について;「ボランティアを通して学ぶ」ことの両義性と微妙さ)
第2部 歴史と現在との往還(大正時代の新教育と社会―澤柳政太郎と成城学園の位置;教育における絶えざる失敗と意図せざる成功―戦前期中等工業教育をめぐる教育政策について;戦後の青少年政策とこれからの子ども・若者)
ポスト震災の教育をどう考えるか―本書のまとめに代えて

著者等紹介

広田照幸[ヒロタテルユキ]
1959年生まれ。日本大学文理学部教授。教育社会学。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

きいち

23
自分も含め教育界の外の人間にも広く読まれてほしい本。もう誰も、素人ではいられないのだから。◇格差、職業教育、能力別編成による効率の追求…今の課題を、教育哲学や教育史をアクティブに扱い冷静に考えていく。◇教育には自由の制限が必須。学ぶ側の自由を制約して強制する側面、教育する自由が制約される側面。「教育における自由は誰かが独占したとたんにアウトになる」類のもの。正解はない。だから、子も親も教師も行政も国家も、誰かが決めるのじゃなくいい妥協をしながら納得解に向かう、そんなビジョン。ここが、我慢のしどころなのだ。2015/08/30

壱萬参仟縁

23
教育機会の不平等の問題:社会の全体構造を思い描いてみるような想像力を働かせてもらうことが必要(17頁)。著者はこの問題を、いす取りゲームではなく、知性の開発に向けた平等な機会の保障という文脈で考えてみることを提案する(27頁)。教鞭を取る側も、スタートラインの平等をお願いしたいものである(J.S.ミルを想起)。学校教育に元来期待されていた市民形成を再評価する道を探ることも提起されている(31頁)。2015/07/09

Toshiyuki S.

0
教育は放っておくと政策も言説も一人歩きしがちなので、教育という言葉のもとで勝たれることが多い「能力」や「機会」などの概念については、実証研究や歴史資料にもとづく緻密な議論を積み重ねていかないといけない。本書では、前半の教育における自由の居場所とその変遷の議論や、能力選抜の欺瞞を指摘した議論などは、自身の興味と重ねて面白く読むことができた。2016/03/09

kokekkosan

0
2005年から2013年までに発表された論文や講演記録を集めたものなので、教育について幅広く議論されている。いろいろと勉強になったなかで、教育の均等と多様化については、矛盾した論点が展開されているように感じた。一方では多様な子どもたちに対する教育は既存の学校教育でやるべき(教育の多様化は反対)と言い、一方では、学習に余裕があることとない子で学習が異なっていてもかまわない、という。後者を認められるなら、なぜ前者がダメなんだろうか・・・?2019/12/02

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