出版社内容情報
1921年,第2回メーデーに日本初の社会主義女性団体,赤瀾会のメンバーが参加した.社会主義運動の昂揚は同時に官憲の弾圧を招き,関東大震災の混乱の下で大杉栄,伊藤野枝らが惨殺されるに至る.夫均(ひとし)とともに難を逃れた山川菊栄は,逆風の中で公娼廃止運動や女性参
内容説明
メーデーへの女性の初参加や社会主義運動の昂揚は、官憲の弾圧を招き、関東大震災の混乱の下で大杉栄、伊藤野枝ら、そして朝鮮人が惨殺された。逆風の中で論陣を張り続けた山川の、1921~24年の評論を収録。
目次
1 一九二一年(大正一〇年)(社会主義婦人運動と赤瀾会;新婦人協会と赤瀾会 ほか)
2 一九二二年(大正一一年)(資本主義下の恋愛と結婚;自家広告の天才―大隈侯人物評 ほか)
3 一九二三年(大正一二年)(新婦人協会の解散;共同の責任―社会主義を抱ける男性への希望 ほか)
4 一九二四年(大正一三年)(二重の意味をもつ婦人の失業;普選と婦人参政権 ほか)