内容説明
ランボーの詩には自分を架空の人やものとして思い浮かべ、自分との類似性を前提としない自画像を描くことからその形を取り始めるものが多い。一〇歳の頃のノートから『イリュミナシオン』の詩篇へ―詩をたんなる夢想として終わらせずに実存をめざすランボーの詩の歩みをたどり、「かくもありえた自画像」の執筆を遂行するなかで詩人が賭けていたものと、その詩の内側から食い破って噴出する力を同時に探る。
目次
第1章 言葉の発見(現実を書き換える;孤児の夢、母の夢 ほか)
第2章 未知への意志―船という自画像(内なる彼方;海の詩へ ほか)
第3章 科学と学問(西洋文明への皮肉な視線;通俗科学の取り込み ほか)
第4章 内省を媒介する形象(孤独と飢餓の隠喩;声による自画像 ほか)
第5章 火を盗む者の変容―『イリュミナシオン』の自画像(思い出すこと、夢見ること;「他のいくつもの生」 ほか)
著者等紹介
中地義和[ナカジヨシカズ]
1952年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授
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感想・レビュー
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nranjen
4
セミナーの講義録らしい。以前読んだ本と共通する部分もあるが、違う部分もたくさんあり、読み応えがあった。他の研究者の解釈との相違の記述もためになる。思えば先日読んだ黄金探索者の主人公とランボーの時代は同じ?場所は違うけれど、異国での放浪、そして貧しさから脱することのできなかった後期のランボーの姿はどこかしら似ている気がした。返却期限がせまっておりじっくり読めなかったのが残念。2017/08/01
Omelette
1
宇宙旅行だった。知力を傾けて読む、とはこういうことなのか。おそるべき集中力と持続力であらゆる手がかりを拾いあげつつ、ランボーの宇宙を通過していく。この人の案内がなかったら、ぜったいに見られなかっただろう景色が、いくつもいくつも。見物だった。しかし疲れた。訳詩だと、身に備わった語感で、勘で読むということもむずかしい。そこで言葉への意識、注意力が限界まで高められる。フル稼働させられる。じつは読むのはこれで3回目だが、それでもこの旅の行程はハードだ2010/01/28