出版社内容情報
抽象的思考ではアイデンティティ/他者性という問題の核心には到達しえない.肝心なのは個々の「私」におけるその在り方である.プリーモ・レーヴィ,パウル・ツェラン,金時鐘という具体的な表現者に即して,この問いを考える.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ネムル
10
レーヴィ、ツェラン、金時鐘の詩作を通して見る、言語とアイデンティティの関わり。ただまあアイデンティティ論というより、詩論で話がまとまり過ぎな気がしなくもないが、投壜に託されたツェランがすごく読みたくなった。2019/09/05
ああああ
3
他者との一体化、他者の言語への同一化の場所は、同時にある異和と変形が不可避的に生じる場所でもあるのだ。元来「表現」とはこの異和と変形の別名にほかならず、あの膨大な言葉の群れのなかで、永山則夫の「自己」は、いく重にも他者と、他者の言語と絡みあって、おそらくは無数の断片として散在しているのだ。そこから永山則夫の「固有の自己」を再構成するのではなく、ひたすら破片を回収すること、それが永山を「読む」ということにほかならないのだ。言うまでもなく、それは永山則夫に特有の問題ではない。ぼくら自身の「自己」もまた、2021/07/03
瀬希瑞 世季子
1
再読。これからプリーモ・レーヴィを読んでいくつもりなのでおさらいに。内容としては物足りないのが正直。あとがきで扱いたかったとあった石原吉郎がないせいで、ツェランをいまいち活かしきれてないと思った。2022/11/17
令和の殉教者
1
例えばアルジェ生まれのデリダは、母語としてフランス語しか持ちえなかったが、その母語にある種の居心地の悪さを感じていたという。フランセーズ(フランス的なもの)に十分同化できないにもかかわらずフランセーズ(フランス語)を使わなければならない感覚。それは、突如迫害を受けたドイツ系ユダヤ人や、皇民化を受けた朝鮮人の感覚において、先鋭化するのかもしれない。ツェランや金時鐘といった詩人たちは、この他者の言語としての母語をあえて使い、撹乱する。本書のアイデンティティ/他者性は、そうした両者の緊張関係に現れるものである。2022/05/18
samandabadra
1
読みにくかった。 一生懸命書いている割には 汎用性のある議論ではないように思う2009/09/04