出版社内容情報
戦間日本の激しい社会変容は知識人に衝撃を与え、文化的本来性をめぐる言説を大量に生み出した。西欧でも同時期に出現したこの「近代の超克」現象にまったく新しい光をあて、日本の近代思想史像を一変した、衝撃の書。
内容説明
独創的な日本思想がなぜ文化的帝国主義に奉仕してしまったのか。九鬼周造、和辻哲郎、柳田国男、折口信夫、三木清…戦間期の思想史像を一新する。
目次
第4章 文化的記憶の持続(日常性という恐慌;文化的存在論―日常性の避けられない原初性;偶然の必要性;文化の二重性格―日常生活の重層性;国民性格の文化化;人間関係を家化する)
第5章 共同‐体(共同‐体の記憶術;民衆を形象化する;芸術、アウラ、繰り返し)
第6章 歴史的現実(実存、経験、現在;「生活文化」;「技術の力」;民族主義とファシズムという亡霊)
著者等紹介
ハルトゥーニアン,ハリー[ハルトゥーニアン,ハリー][Harootunian,Harry]
ニューヨーク大学教授。日本近代史・歴史理論専攻
梅森直之[ウメモリナオユキ]
1985年早稲田大学政治経済学部卒業。シカゴ大学Ph.D.早稲田大学政治経済学術院教授。日本政治思想史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ポン
3
モダニズム批判が構造ではなく表象の批判に留まったことに、民俗学、国文学、考現学、史学等日本の諸学問の限界をとらえる。しかも、(だからこそ)その批判は結果的に近代的支配の言説に包摂されてしまう、という論。外国の方の日本研究はこの手の語り口が多い。なぜ、日本の先学者達が表象の批判を重要視せざるを得なかったのか、という問い(つまりそれ以前に遡った近代日本のエートスの探究)のほうが本質的に重要だと思うが、どうだろうか。とはいえ、近代諸思想を考える上で、欠かせない名著か。戦後史学も見据えた批判として読み取った。2013/12/31