「新しい野の学問」の時代へ―知識生産と社会実践をつなぐために

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  • サイズ B6判/ページ数 272p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784000220750
  • NDC分類 380.4
  • Cコード C0036

内容説明

いま、アカデミズムの狭いディシプリンに閉じ篭もることなく、多様な叡智と技能、経験を使う新しい学知が生まれつつある。それは研究者や専門家のみならず、公共部門や市民、NPOなどが協働し知識生産と社会実践をむすぶ「新しい野の学問」である。フィールドワーカーとして現実と向き合いながら、学知のあり方を問い直す。

目次

第1部 実践としての学問の試み―私が闘牛を始めた理由(フィールドに「入る」;地震に襲われたフィールド;転回する研究者のポジショナリティ;実践におけるポリティクス―震災後の「大文字の学知」;寄り添う「学知」―生活者のなかへ)
第2部 学問のあり方を問い直す(「野の学問」の誕生とその衰退;分断された知識生産の担い手たち;「公共」に開かれていく学問;アカデミズムと社会実践の闘争史―アメリカにおける公共民俗学;知の囲い込みからの脱却―モード2び知識生産の様式)
第3部 「新しい野の学問」の可能性と課題(「新しい野の学問」時代の到来;「新しい野の学問」に対応する研究者;これからの学問の挑戦―「新しい野の学問」との交わり方)

著者等紹介

菅豊[スガユタカ]
1963年生。民俗学。東京大学東洋文化研究所教授。博士(文学)。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科中退、国立歴史民俗博物館民俗研究部助手、北海道大学文学部助教授、東京大学東洋文化研究所准教授を経て現職。中央民族大学民族学與社会学学院客員教授・復旦大学芸術人類学與民間文学研究中心特別招聘研究員・山東大学文化遺産研究院流動崗教授(中国)、ハーバード大学イェンチン研究所ビジティング・スカラー(米国)などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬参仟縁

7
調査者と被験者との間のラポール(17頁)。人間関係が構築されないと調査は遅々として進まぬ。越後の角突きは千年の歴史が脈々(36頁)。研究者がフィールドに溶け込んで、観察するのみならず、当事者として、あたかも観光客の体験をしていく。そのような流儀が民俗学の醍醐味なのかもしれない。研究は対象を相対化しなければならない。しかし、本書は必ずしもそうではない。地域を変えるためにその一助となっている。漸近線的接近とは共感、地域の人との感覚の共有のようである(54-55頁)。同一化、接することはない、微妙な立ち位置だ。2013/12/23

かわかみ

6
研究者のために書かれたような内容で浅い理解に留まるが、民俗学は近代化が招いた画一化への反動から生まれ、野の学問として実践への志向を内包していた。しかし、現代の民俗学はアカデミズム化と科学としての客観性への志向によって実践性を損なっているという問題意識を著者自身の山古志村の闘牛との関わりから吐露している。海外における、この学問の最近の展開を引いて、野の学問としての実践性を取り戻そうと訴える。余計な話だが、個人的には経験知を理論化して実践することに最も成功しているのは経営学分野のような気がしているのだが…。2024/08/14

ゆとりくん

5
大げさなタイトルだ。簡単なことを小難しく表現するのは民俗学のレベルが低いのをごまかそうとしているから?というよりこの学問の目的は何?社会にどういう価値を提供したいの?社会をどう変えたいの?疑問はわくばかり。研究者の興味ばかりで自己チューでナルシスト、世間離れした印象を受ける。まあ民俗学者にはそういう人達がなるべくしてなっているのでしょうがないんだけど。2013/06/05

山田

1
一部は面白かったけど二部はザ・歴史で読むのが大変だった… 言いたいことは分かるけど「それで?」と言いたくなるのは悪い癖だな。自分もやられると死ぬことを他人にやってはいけない(戒め)2015/06/26

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