内容説明
家族、性、知覚、欲望…身体はどこまで担えるか。現代社会の全体像を把握し、新たな知の基盤を築くための挑戦。
目次
1 「身体」としての現代(“語る身体”の生成;潜在脳、自由意思、社会;関係としての身体―障害を生きる経験から;思弁的実在論と無解釈的なもの;ポストメディア時代の身体と情動―フェリックス・ガタリから情動論的転回へ)
2 「家族」の終焉?(揺らぐ日本の近代家族;家族の多様性と社会の多様性―少子化をめぐって;近代家族の臨界としての日本型国際結婚)
3 「性」をめぐって(現代社会における性的差異と性関係―ラカン派精神分析の観点から;性的マイノリティをとりまく困難と可能性―同性愛者への寛容と構造的不正義)
著者等紹介
大澤真幸[オオサワマサチ]
1958年生。社会学者/比較社会学、社会システム論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kenitirokikuti
8
「9 現代社会における性的差異と性関係 ーラカン派精神分析の観点から」(樫村愛子)。フェミニズムは〈性的差異の特異性を脱構築しようとした〉。しかし、〈「ポストフェミニズム」の潮流の中で、逆に性的差異の再強化が行われつつある〉。女子力や婚活など、あっという間にアイロニーが失われる。精神分析(ラカン派)は〈性が他者、言語、身体に関わる領域であるゆえに基底的〉とする。しかし、後期資本主義社会は、〈セックスを市場の…消費対象とし、性関係を犠牲にして性的対象へのアクセスを特権的にして〉いる。〈そこには言語がない。〉2018/10/28
kenitirokikuti
4
「8 近代家族の臨界としての日本型国際結婚」。農村花嫁として注目された、日本人男性と来日東南アジア女性との国際結婚。しかし、統計を見ると、昭和30〜40年代生まれの高卒中年独身男性(労務者)が街場で「恋愛結婚」に至るという例が多数派である。2017/07/09
MG
4
社会が変容すると、親密圏も変容すると思われていますが、本書を通じて社会がどう変容しようと親密性は普遍的であると感じました。情報化により意思伝達が手紙からメールに移行しましたが、それは手段が変わっただけで目的が変わらないかのように。2016/04/17
マウンテンゴリラ
2
高度成長期以降の日本社会の時代区分を第二の現代とするならば、日本人にとって、最も大きな問題は常に経済の問題であったということが、不思議に思えてくる。このような感覚に陥ってしまうことそれ自体に、現代の問題点があるということを、本書のような社会的問題をあらためて突きつけられたときに戸惑う自分自身にも感じてしまう。それほどまでに、経済中心、男性的価値中心であった時代の価値観をほぼ無意識ながらも、私自身も引きずっていたのだということを思い知らされるような気がした。→(2)2017/06/15
numainu
2
評価B2016/04/05